逝け・逝ってしまえ・逝ってよし
※ローマ人以外の人から見比べると
『君主の頂点である中華の皇帝』同じらい絶大な『官職』なので、
ローマ人以外から見ればローマ皇帝が妥当な言葉
ローマ人から見れば君主ではないのでローマ元首の方がいい
ローマニアIMPERATOR CAESAR AVGVSTVS
東ローマ帝国Αυτοκράτορας Καίσαρας Αύγουστος
ビザンツ帝国Βασιλεύς
IMPERATOR CAESAR AVGVSTVS 略 IMP
紀元前27年に元老院より
アウグストゥス(AVGVSTVS)の尊称を授与されたオクタヴィヤヌス本人と、
この尊称を帯びた彼の後継者をさす。
ローマ皇帝というひとつの職位があるのではなく多くの重要な職位を一人が集中して兼任した状態のことをいう。
初代のローマ皇帝とされるオクタビヤヌスは実際に様々な官職や権限を
一身に集め彼の後継者に同一の権限を与えた。
Imperator Caesar Augustus
を自分の名前に付加することで権限を集中した兼任者(つまり皇帝)が誰であるかを明確にしていた。
※ただしAVGVSTVSの名には何も権力は無い
なぜ、ローマ皇帝のことを『元首政治』とか分けなくてはならないか、
初代アウグストスの頃から別にやろうと思えば、
反抗する人間を『消すこと』ができたしやったこともある。=これを権力という。
しかしローマ人自身が『君主』という存在を毛嫌いするのである。
彼自身は仕事の仕方では『執政者(首相)』と変わらないようにしていた
『元老議員』であることには変わりなく、
アウグストスの身分も一般市民とも変わらないので。
悪い遺族がたまに『下々の民』とか禁句だったのだろう。
ローマ皇帝がそれを言えるようになるのはディオクレアヌスぐらいから
当然
元首が元老院に行く際も仰々しく言ってはいけないわけで
一議員・執政官としてぐらいの優遇しかされなかったのだろう。
日本で比べると
ず~と内閣総理大臣をしていても、おかしくないようにふるまっていた訳で。
実際は古代は民衆に支持されないから辞めるという習慣が無いから
超然とした境目は会ったのだろうけど。
あまり似ているとは言いたくないがアメリカの大統領にシステムが似ているといわれる。
ローマ元首の皇帝化 絶対元首政治
ディオクレアティヌスローマ元首を『神に匹敵』する位と宣言する。
それまでは元首はさまざまな『役職』の人間と協議して決めることが多かったが、
これからは完全にローマ元首本位で決まるようになった。
『反対意見』を言う物は『生きていられなくなった』
ローマニアの人々は元首がと通る時は『跪かないと』いけなくなったという。
一応行列を横切ると無礼討ち、である
しかしまだ地位の世襲はディオクレアヌス自身は『認めていなかった』
コンスタンティヌス1世 偉大なる絶対元首 中世の君主
コンスタンティヌス1世はキリスト教を崇拝したローマ絶対元首として有名である
そしてローマ元首の地位の世襲体制にさせた。
よってセナートス(元老院)のシステムがいらなくなってしまった
世襲絶対元首にいたりコンスタンティヌスは中世最初の『君主』とよばれるにいたる
これ以降のローマ元首の御前はもはや荘厳そのものになっていき、
『幼少』でも『即位』可能となる
ただ、東ローマ皇帝は
最初にかいたアウグストスの『やろうと思えば消せる』の権力を使えるようになったにすぎない。
Αύγουστος アーグストス
通称東ローマ帝国(ビザンツ帝国)
ギリシア語: Βασιλεύς; Basiléus バシレウス
ギリシア語の君主の称号。
元は「王」を意味するギリシア語であり
古代ギリシア世界ではラテン語の "rex" にあたるものであった。
中世~現代ギリシア語では「ヴァシレフス」。
古代ローマ帝国後期においては
「インペラトル、カエサル、フラウィウス、アウグストゥス」が皇帝の称号であり、
初期の東ローマ帝国でもそれが引き継がれていた。
ギリシア語版の勅令でも
アウトクラトール(支配者の意。インペラトルに相当)
「Αύγουστος アーグストス」
(ないしは、同じ意味のギリシア語であるセバストス)
と記されていた。
バシレウス号に
東ローマ帝国首都コンスタンティノポリスヘ凱旋し
ローマ皇帝へ即位したヘラクレイオス(在位:610年 - 641年)は
「キリスト信者のバシレウス」とだけ名乗った。
その後の東ローマ皇帝も
「アウトクラトール、カイサル、フラウィオス、セバストス(またはアウグストス)」といった伝統的な称号も復活し併記されるようになったが
以後Βασιλεύςバシレウスが
東ローマ帝国における皇帝の称号として定着することになった。
ラテン語圏消滅
ローマ帝国の支配領域から離れてしまっており新設された
官位などもギリシア語の名称を使用するようになっていた
当然当時のローマ帝国もギリシャ語が普通だと考えるようになった。
このことはローマ帝国の
公用語のギリシア語化「ローマ帝国のギリシア化」を象徴するものとされている、が
具体的になぜこの時期にヘラクレイオスが急に称号を変えた
(即位時には伝統的な称号を使用していた)のかは定かではない。
『ペルシャ帝国』の君主の肩代わり説
一説によればそれまで
「バシレウス」は
「諸王の王(シャーハンシャー、ギリシャ語では「バシレウス・バシレオーン」)」
と称していたペルシャ帝国サーサーン朝の君主をさす用語であったものだったが
サーサーン朝を降したことによって
ヘラクレイオスが新たな「諸王の王」であると宣言したとも言われている。
本来「王」を示すバシレウスが皇帝を示す用語に変わったことから
東ローマ帝国では他国の王を示す言葉として
が使用されたという。
『キリスト教を滅する地獄の魔王』から~『神の代理人』へ
ローマ皇帝こそが『地上における神の代理人』であり
コンスタンティノポリス総主教等の任免権を有していた。
しかし正教会において教義の最終決定権はあくまでも教会会議にある。
聖像破壊運動を終結させた第七全地公会も
決定したのはあくまで公会議である。
ローマ教皇のような一方的に教義を決定できる唯一の首位を占める存在といった
システムが正教会にそもそも無い以上ローマ皇帝が
ローマ教皇のように振舞える道理は無かった。
ローマ皇帝は『地獄の軍団レギオンこと』ローマ帝国軍最高司令官
が、現実に有する軍事力=ローマ皇帝は『地獄の軍団レギオンこと』
ローマ帝国軍最高司令官であるから。
ローマ皇帝に楯突くことは『神への反逆』すなわち『死』を意味した。
『墓穴が不足しておるのか』
ローマ皇帝自身が『神の代理人』である以上権力は無限にある
逆鱗に触れた正教会の教会は焼き払われたり
罪のない住民を巻き込み町ごと殲滅されたそうだ。
おそロシア・・・あれ
関連
オクタビヤヌス・オクタビウス・オクタヴィヤヌス・オクタビアヌス
アウグストォス・アウグストス・アウグストォス・アウグストゥス
元首 エンペラー・EMPEROR・emperor・Emperor(IMP)IMPERATOR(命令権)から
カール大帝・カール1世・シャルルマーニュ オットー一世・オットー大帝
魔王・・・キリスト教では地獄(コンスタンティヌス1世)以前の魔王である