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ホクトボーイの編集履歴

2023-05-09 11:54:07 バージョン

ホクトボーイ

ほくとぼーい

日本の競走馬、種牡馬。トウショウボーイと同世代のテスコボーイ産駒。

概要

日本の競走馬種牡馬

トウショウボーイと同世代のテスコボーイ産駒だったが、長距離も得意としていた。

主な勝ち鞍は天皇賞(秋)(1977年)、阪神大賞典(1976年)、京都記念(秋)(1977年)など。


プロフィール


来歴

1973年

4月22日、日進牧場で誕生。


1975年

森滋(金森森商事)が馬主となり、栗東の久保道雄厩舎に入厩。

10月5日、久保敏文騎手を鞍上に京都競馬場の3歳新馬戦(芝1200m)でデビュー。タカミオーラの3着に敗れる。

11月2日、京都競馬場の3歳未勝利戦(ダート1400m)に出走し、初勝利。

11月22日、白菊賞(1勝クラス)に出走し、ヤマニンイブヒロの13着に敗れる。


1976年

3月28日、阪神競馬場条件戦(300万下)に出走し、ユウホープの2着に敗れる。

5月3日、アイリス賞(300万下)に出走し1着。

5月23日、白藤賞(600万下)に出走し1着。春のクラシック・レースへの出走は叶わなかった。

10月2日、ムーンライトハンデキャップ(900万下)に出走しレコード勝ち。オープン馬となる。

11月14日、菊花賞に出走し、グリーングラスの17着に敗れる。

12月5日、セントウルステークス(1300万下)に出走し1着。

12月26日、阪神大賞典に出走し1着。重賞初勝利。


1977年

1月23日、日本経済新春杯で始動。ホースメンホープの2着に敗れる。その後、勝てないレースが続く。

6月5日、宝塚記念に出走し、トウショウボーイの5着に敗れる。出走頭数は6頭だけだったが、勝ったトウショウボーイをはじめ、グリーングラス、アイフルクライムカイザーテンポイントと、ホクトボーイを除いて全て八大競走優勝馬であった。

9月25日、朝日チャレンジカップに出走し1着。重賞2勝目となった。

11月6日、京都記念(秋)に出走し1着。重賞3勝目となった。天皇賞出走のため初の関東遠征に出る。

11月27日、天皇賞(秋)(当時は芝3200m)に出走し1着。八大競走優勝馬となる。


1978年

2月19日、京都記念(春)で始動。エリモジョージの3着に敗れる。

3月26日、鳴尾記念に出走し、エリモジョージの2着に敗れる。

12月17日、有馬記念に出走し、カネミノブの14着に敗れる。この年はオープン戦で3勝を挙げたのみに終わった。翌年も現役続行となる。


1979年

1月21日、日経新春杯で始動。スズカシンプウの3着に敗れる。

5月6日、スワンステークスに出走し1着。久しぶりの重賞勝利となった。

6月3日、宝塚記念に出走し、サクラショウリの8着に敗れる。

12月16日、有馬記念に出走し、グリーングラスの5着に敗れる。このレースを最後に引退。


1980年

谷川牧場で種牡馬となる。血統の良さから人気を集めた。主な産駒にダイテンスパルタワイドガールなど。


1987年

10月5日、病死。


関連タグ

76世代 競走馬 JRA

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