マハーカーリー
まはーかーりー
各作品世界観における女神カーリーの一覧は「カーリー」を参照のこと。
概要
シヴァ神の妃パールヴァティーの一側面とされる、シヴァ(マハーカーラ)の妻の一人。
サンスクリット語で「महा:マハー」と「काली:カーリー」の組み合わせ。
カーリーとは『黒』と『時間』を意味する「काल:カーラ(kāla)」の女性形であり、しばしば“黒い女神”、“時の女神”と称される。
カーリーの示す時間とは母なる女神の胎内、大地への回帰である死という地母神的な側面を持ち、ドゥルガーと共にシヴァの暗黒面を象徴する存在ともいわれる。
神話
女神カーリーはヴェーダ等に登場せず、その物語は叙事詩やプラーナ文献に綴られている。
ドゥルガーの誕生とアスラ軍との戦いを語る「デーヴィー・マーハートミャ」等に登場する。
「カーリー」という単語そのものは『アタルヴァ・ヴェーダ』にも言及がある。『ムンダカ・ウパニシャッド』では火神アグニの七つの舌の一つの名である。
独立した神名としての登場は『カータカ・グリヒヤスートラ(Kathaka Grihyasutra)』(紀元前2~3世紀)が初出とされる。ここでは結婚式の際の儀礼で呼びかけられる神々のリストに含まれるだけでそれ以上の詳細はない。
「デーヴィー・マーハートミャ」での描写
『マールカンディーヤ・プラーナ』に収録されたテキスト「デーヴィー・マーハートミャ」において以下の神話が語られている。
本書では彼女は主に「チャンディカー」や「アンビカー」と呼ばれる。神々から「ドゥルガー(近付き難き者)」と呼びかけられるが、「ドゥルガマ」というアスラを斃す事で「ドゥルガー」の名を得るエピソードは本テキスト終盤において女神の口から語られる、未来に起こる出来事の予言という形で触れられている。
チャンディカーがアスラの帝王マヒシャを討ち取った後、シュムバとニシュムバのアスラ兄弟が台頭。インドラから三界と祭祀の分け前を奪ったのを皮切りに他の神々からもそれぞれの権限を奪い取り、天界から追放した。
神々は事態を打破すべく、かつてアスラ王マヒシャを斃した女神を招来しようと讃歌を唱えた。
その時、ちょうど沐浴をしにガンジス川に来ていたパールヴァティーがこの讃歌は誰に捧げられているのか、と神々に尋ねた。
するとパールヴァティーの体からアンビカーが出現し自分に捧げられたものだ、と答えた。
シュムバとニシュムバの部下であるチュンダとムンダーはその姿を目にとめ、主君ふたりに彼女を手に入れてはどうかと進言する。
シュムバとニシュムバは大アスラのスグリーヴァ(『ラーマーヤナ』に登場する猿スグリーヴァとは全くの無関係)を使者として派遣して彼女に兄弟のどちらかの妻となるよう伝える。
アンビカーは自分より強いか、あるいは互角であれば求婚を受け入れると返答。スグリーヴァは怒り、主君兄弟もブチ切れて早速、彼女を強引に引っ立てさせようとドゥームラローチャナというアスラ将軍と軍勢を差し向けた。
それをすぐに全滅させられてしまったシュムバとニシュムバは今度はチュンダとムンダーにアンビカーを捕らえて引っ立ててこいと命じる。
軍勢を与えられたチュンダとムンダーはドゥルガーに挑むが、彼らが近づいて来るのを見てドゥルガーは激怒、その顔は黒く染まった。その額からは武装したカーリーが現れた。カーリーは瞬く間にアスラの軍勢を殲滅して、二人の指揮官の首をドゥルガーの前に差し出した。
この功績により、カーリーは討ち取った二人のアスラから名をとって「チャームンダー」と呼ばれるようになった。
次にカーリーと対峙したのはラクタヴィージャ(血の種子)で、彼は大地に落ちた己の血から無数の分身を生み出す力を持つ強大なアスラであった。
カーリーが彼を武器で傷つける度に次々に分身が現れて苦戦を強いられたため、カーリーは口を開けて分身や滴る血を呑みこんだ。アンビカーはカーリーに血を飲み干されたラクターヴィージャを金剛杵、矢、剣、短槍で痛めつけ、ラクタヴィージャは全ての血を失い倒れた。そのあとアンビカーはシュムバ、ニシュムバを討ち取り、戦いに勝利した。
戦後に神々から捧げられた「ナーラーヤーニー讃歌」ではチャンディカーは「バドラカーリー(縁起の良いカーリー)」とも呼ばれる。
シヴァの上での舞踏
カーリーは怒りから生まれた存在であり、好戦的で血を好み、破壊と殺戮を喜びとする恐るべき女神である。
カーリーが破壊の衝動を解き放てば何者もそれを止められず、戦いの興奮から大地を踏み鳴らし激しく踊り、遂には世界を壊しかねないほどとなる。
シヴァ自身が彼女の勝利の舞踏に際して足元に伏し、正気に戻るまで踏み続けられるのが世界の崩壊を防ぐ唯一の方法とされ、このことから時間(シヴァ)を服従させる“時の征服者”とみなされる。
「デーヴィー・マーハートミャ」ではラクタヴィージャ戦後、カーリーはそのまま敵軍との更なる戦闘に加わっていく。
しかし伝承によっては、ラクタヴィージャを討ち取った後、彼女は狂乱状態に突入し、勝利の興奮から地震を起こすほど踊り狂い、シヴァが身を投げ出して下敷きになり、事なきを得ている。
この時、ふと我に帰ったカーリーは、自らの暴走を自覚して気まずくなり、舌を出して戯けてみせたとされる。つまり、彼女の舌を出した表情は、「血に飢えた凶相」ではなく自分のやらかしをごまかしたことに由来する。意外とお茶目な女神様なのかもしれない。
ただし、この伝承については否定的な見解も存在し、インドの神話学者デブドゥット・パッタナイク(Devdutt Pattanaik)はザ・タイムズ・オブ・インディア紙の記事「カーリーと彼女の舌(Kali and her tongue)」で、エピソードの引用に続けて「言うまでも無く、これは19世紀に一般的になった家父長制的解釈と考えられる」と記している。
『リンガ・プラーナ』での描写
ダルカ(Daruka)という女性しか倒せないアスラがおり、シヴァはパールヴァティーに彼を倒すようにお願いする。パールヴァティーはシヴァの体内に入り、(乳海攪拌のエピソードで)彼の喉に溜め込まれた猛毒に触れてカーリーに変身し、ピチャーシャの群れを率いてダルカとその軍勢を討ち取る。
しかしカーリーの闘争心は収まらず、世界に危機が迫る。シヴァの介入によってカーリーは鎮まるが、そこに至るエピソードは複数のバリエーション存在している。
『シヴァ・プラーナ』ではシヴァが泣く幼児の姿でカーリーの前に現われ、彼を泣き止ませようとすると同時にカーリーも静かになった。
シヴァのこの姿はバイラヴァの童子形「バトゥク・バイラヴァ(Bhattuk Bhairav)」ともされる。
『ヴァーマナ・プラーナ』での描写
シヴァがパールヴァティーを「カーリー」と呼んだとき、彼女は腹を立て、黒色を自分から分離しようと苦行を行う。そうして黒い肌を失い、黄金のガウリー女神となる。彼女から切り離された黒い「身体の鞘」の部分はカウシキー女神となり、カウシキー女神は怒りながらカーリーを創造する。
なお「デーヴィー・マーハートミャ」ではパールヴァティーからアンビカー女神が出てきた時にパールヴァティーの身体が黒くなり「カーリー」と呼ばれるようになった、とある。また、こちらではカウシキーはアンビカーの別名として扱われる。
図像表現
その姿は一般的に、黒い肌、牙のある口から伸びた長い舌、第三の目がある面貌は血塗られている。
絵や像になった場合、同じ黒肌のクリシュナの様に、青い肌で描かれることも多い。
脇侍として「ダーキニー」と「ヨーギニー」が左右に置かれる事もある。またジャッカルを伴っている事も多い。
絵画ではカラスが近くにいることも。カラスはインドに棲息する、黒と灰色のツートンカラーの「イエガラス」のパターンがある。
「デーヴィー・マーハートミャ」でのカーリー(チャームンダー)は色鮮やかな髑髏杖と羂索と剣を持ち、人間の(髑髏の)ネックレス、虎の皮を身につけている。肉体はしなびて目はくぼんだ、という老女を思わせる姿である。『カーリカー・プラーナ(Kālikā Purāṇa)』では引き締まって若々しい身体であるとされ、ドゥルガーと同年代にも見える成人女性の姿で描かれる事が多い。
像として象られる際は、ベロリと下を出した不気味な表情で表されることが多い。その解釈の一つが上述の「夫を踏んでいた事に気付いた事への当惑」である。
カーリーの表現には様々なパターンが存在するが、生首又は髑髏を繋いだ首飾り、切り取った手足で作られた帯を身に付けている、という点は概ね共通している。
四本腕のパターンとしては、右側の二臂には血のついた剣と三叉戟、左側の二臂には血を滴らせる魔神の生首と血を受ける頭蓋骨を持つもの。
右側の二本腕は何も持たず、アバヤー(abhaya、施無畏印)とヴァラダ(varada、与願印)のムドラー(印相)にし、左側の二本腕で剣を掲げ、生首の髪を掴んでぶら下げ、シヴァの上で右足を前にして胸のあたりを踏んでいる「ダクシナ・カーリー(南向きのカーリー)」などがある。
このほか十の顔、十の腕、十の足を持ち、上記の持物にさらなる武具類を加えたマハーカーリー(偉大なカーリー)等がある。
踏み出す足は宗教実践における「右道」と「左道」に対応するともされており、左足から前に踏み出す意匠のカーリーはより荒々しく、向き合う事が困難な側面を示しているともいう。
ベンガルではクリシュナと融合したクリシュナカーリー(Krishna-Kali)という姿もある。クリシュナをベースに四本腕として持物と首飾りをカーリーのようにしたパターン(メトロポリタン美術館の紹介ページ)と、四本腕のカーリーをベースに笛を持つ一対の腕が加わり、両足をクリシュナのように組んだポージングのものとがある(テレグラフインディア紙の記事)。
信仰
インドのカーリー信仰はベンガル地方が盛んである。
都市コルカタ(カルカッタ)の名は「カーリーガート(カーリーの沐浴場)」が由来とされ、かつて都市南部にあるカーリーガート寺院では祭礼の際に700頭に及ぶ山羊が捧げられたという。
動物犠牲に留まらず、人身御供が行われる事例もある。カーリガートでは古い時代には子供が生贄に捧げられる事もあったと伝わるが、その後イギリスの統治下において厳しく禁止され、廃れていったという。
またカーリーを信奉する教団「タギー」の存在も知られている。
犠牲者をカーリーへの供物として殺害し、その財を奪う事で組織の運営に用いた。狙われるのは旅人が主で、上記のラクタヴィージャを殺した神話になぞらえて、黄色のスカーフで犠牲者を絞殺したという。
タギーの信徒は年に一人の割合で強盗殺人を犯さねばならず、中にはある男が50年間で931人もの犠牲者を殺害し、「世界で最も殺人を犯した者」としてギネスブック等にも引用されている。
しかし時が流れ、イギリス領時代に徹底的な弾圧を受けてタギーは壊滅。現在は「ならずもの」を意味する英語「thug」にその名残をとどめる。
こうした血生臭い逸話に魅了された人は数知れず、様々な創作に様々な形で登場。
たとえば『八十日間世界一周』では、インドにおいてサティー(未亡人が火に身を投じて夫の後を追う風習)が行われようとしていた広場に、カーリーが「愛と死の女神」として祀られている様子が描かれている。
「デーヴィー・マーハートミャ」ではカーリーが斃したチュンダとムンダーをチャンディカーに「偉大な贄(マハーパシュ)」として捧げるシーンがあるが、「マハーマーンサ(マーンサは肉、の意)」が人肉を指す用法があることから「人身御供」を示唆しているという説もある。
仏教系の『大慈恩寺三蔵法師伝(慈恩伝)』でも天竺に取経の度をしていた三蔵法師が突伽(ドゥルガー)天女を崇拝する賊に捕まり生贄にされそうになっている。
タントラ系テキスト『カーリカー・プラーナ』の「ルディヤーディヤーヤ(Rudhirādhyāya)」というパートでは女神に捧げるための人間の生贄を認める記述が存在する。
『バーガヴァタ・プラーナ』のように人身御供を否定する聖典も存在する。本書ではバイラヴァやバドラ・カーリーに人身御供を捧げる者が死神ヤマの世界で罰を受けるという記述があり、ジャダ・バラタというマハラジャが人身御供のため賊に誘拐され、カーリーに捧げられそうになった時にカーリー自身が神像の中から現われ生贄に捧げようとしていた賊達を殺害した、という物語も収録されている。
動物犠牲ごと否定的に扱う聖典も複数在るが、『カーリカー・プラーナ』のように人身御供を認めるものは確かに存在し、それは現代でも続いている。21世紀になって人身御供等が法で禁じられる例もある。一方で現代でも行われるタントリストを名乗る者による人身御供はタントラとは無関係で本義にそぐわないものだ、という人もいる(Does Goddess Kali Really Demand Human Sacrifice to Slay Demons?)。
主流派のヒンドゥー教宗派では人身御供は行われず、カーリーを信仰しつつ、動物犠牲も行われない例が多い。
血みどろで荒々しい側面のほか、母なる女神としての信仰でも知られている。16世紀ベンガルのバラモン、クリシュナナンダ・アーガマヴァギシャ(Krishnananda Agamavagisha)とその弟子たちによって「母なるカーリー」信仰が広がり、人間の母親のように彼女を慕う信仰歌「シャマ・ションギート(Śyāmā Saṅgīt)」が数多くつくられた。母としてのカーリー像は近代の聖者ラーマクリシュナによってヒンドゥー教圏以外にも広く知られるようになった。
余談
ヤットデタマンのカーリーメカ
タイムボカンシリーズの第5作『ヤットデタマン』の第40話の番外編『六周年だよ!舞台中継』においてミレンジョとコケマツが呼び出したカーリーがモデルの「世界の伝説怪獣メカシリーズ」の第2弾。しかし、サブタイトルでわかる通り舞台中継=劇中劇のため自分で動かず大道具スタッフで動かしている。更にヤットデタマンと大巨神を追い込むべくコケマツの策略でスタッフを買収して大巨神側に攻撃させていた。対抗すべく大馬神と合体するが、更にスタッフの手で剣に電気が流れるよう追い込んだ。しかし、一瞬のスキを突き大馬神の剣がカーリーメカを突き刺し電気が流れ出て中にあった花火に引火、大爆発してしまった。