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ジョージア(国)

じょーじあ

西アジア北端の南コーカサスに位置する共和制国家。日本においては2015年4月21日まで「グルジア」と呼ばれていた国を指す。

概要

黒海に面したコーカサス地方の国家

1991年ソ連の崩壊により独立。首都はトビリシ。

ジョージア(カルトリ)語ではსაქართველო(Sakartvelo=サカルトヴェロ)と呼ばれる。

英語ではGeorgia(ジョージア)と表記される。

1996年アメリカ合衆国ジョージア州アトランタで開催された五輪では同国選手団の入場時に歓声が起こったことでも知られる(アトランタトビリシは1987年より姉妹都市の関係にある)。二つの名称が同じなのは直接的には関係ないが、全く無関係とも言い切れない複雑なもの(ジョージアを参照)。

なお、国民の4人中3人がキリスト教徒で構成されているジョージアでは「同性愛は聖書で禁止されている」ので蛇蝎の如く嫌われるが、挨拶代わりの「フレンチキス」や「ハグ」は握手と同様の社交辞令であり問題とはされない(参考)。

後述のように自国の民族紛争に介入された背景からロシアとは仲が悪く、2008年には南オセチアをめぐって両国の間で激しい戦争が起こり、翌2009年8月18日には独立国家共同体(CIS)を脱退した。

上記の件も影響し、同国政府は2009年より、日本政府に対し国名表記をロシア語の「グルージヤ」に近い「グルジア」から、英語読みの「ジョージア」に変更するようたびたび要請していた。2015年4月に国名表記変更に関係する法律の改正案が衆参両院において、全会一致で可決され、同月22日より、国名表記がジョージアに変更された。

現在の国軍はアメリカを中心としたNATOからの支援を受けており、装備の更新や供与によりアメリカ的な装備となりつつある。

簡単な歴史

黒海に面したこの地域は、ある意味当然ながら海上交易に乗り出していた古代ギリシャの伝説にも言及がある。アルゴナウタイの目的地にしてメディアが王女であった国、コルキスがそれである。

コーカサス地方の多分に漏れず、この地域はローマ帝国(のち東ローマ帝国)とイラン諸王朝との間で揺れ動く小国群が存在した。その中でキリスト教を受容する。さらにのちにはイスラーム帝国の影響も受けた。

やがて、10世紀ごろから諸小国の統合の動きが強まり、12世紀の末頃、タマラ女王の元で最盛期を迎える。しかし女王の死後、モンゴルの圧迫を受け属国となり、さらに王国は分裂した。この結果15世紀には幾つかの公国が並び立ち、さらにまたもやサファヴィー朝とオスマン帝国の勢力争いに巻き込まれる。とはいえひと段落する17世紀には再び文化の盛んな時代を迎えた。

しかし、ここにきてこれまでとは別のパターンーーロシアの南下政策が影を落とす。18世紀、イスラーム諸王朝でイラン・オスマン帝国からの脱却をもくろんで行われた同盟は逆にジョージア諸国のロシア帝国への併合を招くことになり、以降、アルメニア・アゼルバイジャンとともに「ザカフカース」(コーカサス山脈の向こう側の地方)と呼ばれることになる。

そしてロシア革命後、幾つかの変遷を経て、ジョージアは「グルジア」としてソ連を構成する1国となるが、崩壊に伴い独立した。

内戦及び事実上独立した地域

ソビエト崩壊に伴いジョージア多数派の民族であるサカルトヴェロ人による民族主義が強まり、その反発から少数民族の自治共和国との内戦が勃発し南オセチアアブハジアが事実上独立する。

2009年ジョージアが南オセチアを攻撃し戦争が起こるもロシアが支持する南オセアチアから反撃され、さらに領土を失った。さらにロシアが両自治共和国を独立国と認め両国との国交を樹立。

ロシアはロシア的な装備である南オセチア共和国軍への支援、及び平和維持軍という名目においてロシア軍を同共和国内に駐屯させており、現在に至るも軍事的緊張が高い地域である。

ワイン発祥の地の一つとして知られ、世界的な知名度ではイタリアフランスなどには及ばないものの樽ではなく壺で熟成させる上質なワインを生産する。スターリンも故郷であるジョージアのワインを好んで愛飲しており、空港では外国人が入国すると、プレゼントとしてハーフボトルのワインをプレゼントするサービスを行っている。

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