1933年に初めて封切られた、アメリカ発の“モンスターパニックムービーの太祖”。
大都会に迷い込んだ巨大ゴリラの大暴れを通して、当時のアメリカ社会を皮肉った作品。ストップモーションアニメによる撮影を駆使し、発声映画が始まって間もない当時としては異端かつ大胆な作品として日の目を見て、大ヒットを飛ばした。
エンパイアステートビルの上で飛行機(複葉機)と戦う場面はあまりにも有名。
この映画に感化され、数多くの怪獣映画監督が誕生しており、日本を代表する特技監督である円谷英二も、キングコングを観賞して『ゴジラ』誕生のきっかけをつかんでいる。円谷はこの映画を見てあまりの衝撃に手に持っていた紙製のパンフレットを握りつぶしてしまったのだとか。
「ニュージーランドの英雄」ことピーター・ジャクソンも、この作品がきっかけで映画監督の道を志した。
幾度かのリメイクを経ているが、どの作品も大筋は原典に準拠したシナリオである。元々コングはモンスター(怪獣)として描かれていたが、リメイク版では、コングは「身勝手な人間の被害者」と捉えられ、ラストシーンはバッドエンド的な扱いで描かれる事が多い。
その後、ゴジラとの共演作を含め8作の映画が日本などで製作された(日本版については東宝版キングコングを参照)。
それ以前にも日本の映像会社が『和製キング・コング』『江戸に現れたキングコング』などの便乗映画を製作しているが、本家キングコングとは無関係である。
コングのデザインは右往左往したらしく、「人間と猿のハイブリッド」という案もあった。そういう意味では、東宝版キングコングは意外と近いのかもしれない。ちなみに、東宝版は本国からの要請でゴリラ顔にできず、ニホンザル然としている。
なお、『キングコング』の公開が「ネス湖の怪物」の伝説を生み出すのに一役買ったという学者達も存在する。(ダニエル・ロクストン、ドナルド・R・プロセロ『未確認動物UMAを科学する』)
ストーリー
アメリカの映画監督カール・デナムは、スカル・アイランドという未開の島に多数の怪獣がいると聞き、アン・ダロウという駆け出しの美人女優をヒロインとしてスカウトし、その島での怪獣映画の撮影を思い立つ。
「命がけで野獣の映画を撮っても、女が出てこないというだけで【ロマンスが足りない】と文句が付けられる。だから今度の映画には女を出すんだ」
スカル・アイランドに着いた一行は原住民たちに出会い、そこで原住民たちからキングコングの存在を知って撮影を始めるが、丁度島はキングコングに生贄を捧げる祭事の真っただ中で、美女であるアンはその生贄として攫われてしまう。
ジャングルの奥深くでアンはキングコングと遭遇し、コングは彼女の美しさに心奪われ、自分やアンに襲いかかる恐竜たちを薙ぎ払っていく。しかしアンの救出に来たカールと一等航海士のジャック・ドリスコルたちがその隙にアンを救い出し、それに気付いたコングも村へと攻め入り甚大な被害を及ぼす。そこでコングはガス爆弾を食らわされて眠ってしまい、その隙に捕獲されてしまった。
捕獲されたキングコングはニューヨークで見世物として枷につながれる。
一晩で一万ドルも稼いだカールだったが、コングは殺到する取材陣や野次馬を「アンを狙う悪者」と勘違いして暴走して拘束から逃れてしまう。
コングは大都会ニューヨークで大暴れするが、たったひとつ見覚えのある存在・アンを探し出して片手に抱えて駆け回り、最後には故郷の巣に似たエンパイアステートビルによじ登っていくが、航空隊のマシンガンに追い詰められてビルから落下し、息絶えた。
「飛行機が殺したんじゃない、美女が野獣を殺したんだ(Beauty, kill the beast)。」
この作品は映画評論家から、当時アメリカが抱えていた「人種差別」「世界恐慌による失業者」「保護者による歪んだ性教育」等の問題を投射しているともいわれ、当時の世相をよく反映した作品だと評されている。一部では恐慌による先行き不安の念が、この映画の成功に一助していたとも分析されている(エンパイアステートビルは当時ニューヨークで一番高い建物だったが、恐慌の為に中は空室だらけだった)。