ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

源頼朝の編集履歴

2012-10-10 01:00:38 バージョン

源頼朝

みなもとのよりとも

平安時代末期~鎌倉時代初期の武将、政治家。鎌倉幕府初代征夷大将軍。

平安時代末期から鎌倉時代初期における武将で、河内源氏一門の棟梁。鎌倉幕府の初代征夷大将軍として知られる。


概要

久安3年(1147年)4月8日、河内源氏棟梁の源義朝と熱田神宮大宮司藤原季範の娘の由良御前の三男として尾張国(現在の愛知県名古屋市熱田区)に生まれる。三男の頼朝が源氏棟梁の座を義朝から引き継いだのは、兄弟の中で最も母の身分が高かったためと思われる。義朝が平治の乱で敗北し、殺害されたため、青春時代を人質として伊豆国(現在の静岡県)で過ごす。幼名は鬼武者、または鬼武丸と呼ばれる。


妻は北条政子。政子は頼朝の流刑中にお目付け役として派遣されていた北条時政の長女であり、時政の目を盗んで恋仲になったというエピソードがある。


治承4年(1180年)、高倉宮以仁王の綸旨に応じて関東武士を率い挙兵。その後紆余曲折を経て文治元年(1185年)、平氏を滅ぼし全国に守護・地頭を置いた。建久3年(1192年)、征夷大将軍に就任。政治的能力、人材掌握力が高く、日本史における組織作りの天才と言われており、その手腕は後世の徳川家康が手本としたほどである。


武家政権の創始者として頼朝の業績は高く評価されているが、その一方で、人格は「冷酷な政治家」と評される場合が多い。これは実の弟の源義経を死においやったイメージが特に影響している。


容姿

書籍などの記述には「年齢より大人びている」「背は高くないが容貌優美で威厳がある」「顔が大きく、容貌は美しい」などと記されており、イケメンであったことは間違いないようだ。身長は大山祇神社に奉納された甲冑を元に推測すると165センチ前後はあったとされ、当時の平均よりはやや長身である。


関連書籍

吾妻鏡 玉葉

平治物語 平家物語 源平盛衰記 曾我物語


源頼朝が登場する大衆文化作品(括弧内は当該作品で源頼朝を演じた役者)

ますらお 火の鳥乱世編 遮那王義経 修羅の刻 リョウ 源平伝NEO イザヤカク

源義経芥川比呂志/1966年NHK大河ドラマ林隆三/1990年TBSドラマ、榎木孝明/1991年日本テレビドラマ) 武蔵坊弁慶菅原文太) 草燃える石坂浩二) 平清盛岡田将生/ナレーター役兼務) 炎立つ長塚京三) 義経中井貴一

源平合戦 蒼き狼と白き牝鹿シリーズ 源平討魔伝 義経英雄伝 遙かなる時空の中で3


関連タグ

平安 鎌倉 歴史創作

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました