営団地下鉄3000系
1961年の帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)日比谷線の開業に合わせて登場した。東武伊勢崎線・東急東横線へ相互直通運転を行うため、車両規格は当時の東急に合わせる形となった。1971年までに合計304両を製造。
車体はセミステンレス製。ラインはなく素体の銀のままとなり、のちに日比谷線のラインカラー「シルバー」の由来となっているほか、その車体の形態から「マッコウクジラ」のあだ名がついた。
非冷房であったため、1988年から後継車両となる03系の製造を開始。3000系は置き換えられて1994年に営業運転を終えた。
長野電鉄3500・3600系
長野電鉄にとっては短編成が組成できる18m車で、ステンレス車体をもち在来車で取扱実績のあるWN駆動という好条件な車両だったため一部が譲渡され、2両編成14本(3500系)と3両編成3本(3600系)の計37両体制となった。ただし改造待ちの車両が事故車の代替として使用されたため、その補充として急遽予定外のクモハ3001号車-クモハ3002号車の2両を追加で譲受したことで、実際は39両が入線している。その関係で長期の使用を見込み、比較的新しい車両を多数譲受した中で、この2両だけ一番古いものが種車であった。
入線にあたり寒冷地仕様への改造や、前面の強化、一部床下機器の移設、保安装置や列車無線の変更、閑散線区向けの編成へのワンマン運転対応改造などが施された上で使用された。2000年代に入ると都市型ワンマン運転への対応改造が行われたほか、N編成の一部とL編成に対して京成電鉄の廃車発生品を用いた冷房化改造が行われた。
奇しくも1964年東京オリンピックに合わせて建設が進められた日比谷線の車両が、1998年長野オリンピックに向けて、車両近代化や列車の増発を進めようとしていた長電に引き取られたことで、オリンピックに関する輸送を2回も経験していることになる。
なおこれと同時に12両分の足回りも譲渡され、2000系の老朽化したそれと交換する計画もあったが、実際はA編成のみ交換されただけで終了している。
編成には次の3種類が存在した。
N編成
モハ3500形-モハ3510形
N1〜N8編成の8編成が在籍した。主に長野線や山ノ内線で使用するための2連ツーマン車。のちに都市型ワンマン対応改造や一部の冷房化改造が施工された。最後まで残存したグループはこれである。N1編成として竣工した車両は、後述のとおり廃車後に東京メトロへと返却されている。
O編成
モハ3520形-モハ3530形
O1〜O6編成の6編成が在籍した。主に河東線の末端線区(屋代線と木島線)で使用するための2連ワンマン車。整理券発券機や料金箱、監視カメラなどのワンマン運転に対応した設備をもつ。河東線を受け持つ変電所の容量の都合から、最後まで非冷房車であった。在籍したうちO1編成とO2編成はツーマン運転との兼用車であった。
L編成
クハ3650形-モハ3600形-モハ3610形
L1〜L3編成の3編成が在籍した。主に長野線や山ノ内線で使用するための3連ツーマン車。3連を組成するため、中間車は種車として3500形奇数車を使用している。のちに都市型ワンマン対応や冷房化改造が施工された。比較的早期に淘汰が進行したため、2008年以降はL2編成のみ活躍していた。
いずれも1998年までに改造を終了し、主力車両として全線に渡って活躍していた。しかし2000年代に入ると木島線・屋代線の廃止やそれに伴う車両数の見直し、東急8500系を改造した8500系の導入などにより廃車が進んだ。そして日比谷線の後輩分・03系改造の3000系の投入によって、最後まで残っていた編成も2022年までに退役することになった。
東京メトロへ返却された車両
営団時代に3000系の第1編成だった、もとクモハ3001号車-クモハ3002号車は、元々廃車後に地下鉄博物館で保存される予定であった。しかし、先述のとおり不足分の補充用として急遽譲渡することが決定した際は、長電での使用終了後は必ず連絡を入れる旨の約束を取り付けていた。その後2006年に活躍を終えたのち、翌年1月に「技術伝承」のために保存を決めた東京メトロへ返却され、営団時代の姿へ復元の上で綾瀬検車区にて動態保存されていた。現在は古巣の千住検車区へ移動して保存されている。
関連項目
東京メトロ・東京地下鉄 営団地下鉄・帝都高速度交通営団 長野電鉄