pixivでは、「華丸大吉」の方が圧倒的に多い。
概要
旧芸名は「鶴屋華丸・亀屋大吉」。略称は「華大」など。
福岡大学の落語研究会の新入生同士として知り合った。落研での高座名は華丸が「福々亭さろん(当時美容室に飾ってあるモデルのポスターのような髪型をしており、ヘアサロンから)」、大吉が「福々亭こまんど(映画『コマンドー』が流行っていたから)」である。
なお、華丸は大学を中退、大吉は休学→学費未納で除籍となっている。
長らく福岡県を拠点として活動。『爆笑オンエアバトル』への出場から少しずつ東京(全国区)でも評価されるようになり、2005年から東京に進出した。
同年10月に行われた『とんねるずのみなさんのおかげでした』の企画コーナー「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」第6回大会および翌2006年のR-1グランプリで華丸が優勝したことを機に、全国区での知名度が大いに向上。その数年後には『アメトーーク!』や『たまむすび』で大吉がブレイクした。
2014年の『THE MANZAI』で優勝を果たす。
2018年からは『あさイチ』の2代目キャスターを務めている。
2001年にはM-1グランプリに出場し、準決勝敗退の結果に終わった。大吉は後にM-1の審査員を務めている。
芸風は漫才メインで、博多弁を織り交ぜたゆったりとしたコント漫才で活動している。ごく稀に長尺のコントを披露することもある。
「福岡の普通のおじさん」や、二人の好きな酒や食、福岡ソフトバンクホークスなどをテーマにしたネタを得意としており、東京進出後もあくまでローカルな雰囲気を売りにする。ちなみにネタの中のおじさん像はいわゆる土建屋をしている華丸の父を参考にしているとのこと。
二人は非常に仲が良く、『アメトーーク!』の「愛(相)方大好き芸人」にも出演している。
また共に穏やかで優しい人柄なため、事務所・出身問わず多くの後輩から慕われている。そのため、アメトーークでは「華丸・大吉芸人」の撮れ高が良く、2週連続で放送されていた。2012年のアメトーーク!大賞も受賞している。
もともとは『華丸・大吉』の名前でデビューすることになっていたが「7音の芸名が売れる」というジンクスと、「よりおめでたい名前を」ということから『鶴屋華丸・亀屋大吉(つるやはなまる・かめやだいきち)』としてデビュー。その後2004年4月に現在の名前に改名。
なお、改名の理由は福岡吉本に事務員としてパートで務めていた女性が姓名判断に詳しく、退職する際に「『鶴屋』と『亀屋』は運気的に最低の名前。鶴屋がほぼ0点、亀屋は口に出せないほどひどい名前で、ずっと気になっていた。改名してほしい」と言い残していったことから。
来歴
福岡大学の落語研究会で知り合う。お互いの第一印象は「男なのにえくぼがある(華丸→大吉)」、「目が大きい(大吉→華丸)」。
「お笑いサークルがなかった」というやや消極的な理由で入ったが、落研はかなり気合の入ったサークルであり、新入生は3年生に「弟子入り」する形で鞄持ちをさせられていたとのこと。2人はそんなガチガチの縦社会について不満を言い合うなどして仲良くなる。
大学入学からしばらくして、福岡のタウン誌に華丸が「福岡大学の新入生」としてインタビューを受けたことをきっかけに、ある芸能事務所から声をかけられる。その際、華丸が仲の良かった大吉を誘ってコンビとなる。
事務所からは東京デビューしないかという話が出ていたが、事務所が非常に小規模(※実際には東京にある事務所の支社のような存在だったらしい)であったことから不安に感じていた。同時期に福岡吉本が設立されることになり、「腕試し」の名目でオーディションを受け、半ば補欠のような形で1990年から所属となった。同期にカンニング竹山と、その相方であった田中健二(ケン坊田中)がいる。
デビューからまもなく福岡吉本1期生総出演の『どっちもどっち博多っ子倶楽部』(TVQ)にレギュラー出演することになったが、事務所からは竹山と華丸が推される形であり、大吉は裏方兼任で目立たない状態が続いていた。しかし、明石家さんまに心酔しさんまと同レベルの活躍を求める所長からのプレッシャーに耐えかねた竹山が失踪・東京進出のために退社したため、当時事務所内唯一のコンビであった2人が推される形となった。
以後、福岡県内ではアイドル的な人気を博し、ローカル番組で活躍する。
1997年に『とことんサンデー』(テレビ西日本)の企画で大吉が1年間アメリカ留学をすることになり、コンビ活動を休止するが、当時の福岡吉本の社長とテレビ局との間に確執があったため話が通じておらず大揉めになり、最終的には留学もできず1年間自宅待機する羽目になった。なお、その間華丸はFMラジオでDJをしており、お笑いからほとんど離れていた。
事務所とテレビ局が和解したことにより、1998年から大吉が復帰(ちなみに「留学した」という名目づくりのため、復帰前に1ヶ月半ほどインドに行かされたらしい)。大吉が自宅待機中に作ったネタがウケたことから、以後ネタ作りは大吉主導となる。
福岡を拠点にしたいとは思っていたが、いわゆる「事務所枠」があったことや福岡大会があったことから『爆笑オンエアバトル』など東京・全国区の番組に出演するようになる。
2001年にはM-1グランプリに出場する。既に出場資格が無く(大会開始当初は結成10年未満限定)出られないはずであったが、吉本は各地の劇場に客席審査員を置くため、大会を盛り上げる「福岡枠」という形で要請を受けて半ば強引に出場した。「改名すれば芸歴は1年目にリセットされるので出場できる」とある作家に言われ「華丸マル・大吉」名義で出場している。
結果は準決勝敗退(実力的には申し分なく、決勝進出も噂されるほどであったが、主催者側が「やっぱり結成10年を超えているのは駄目」と断ったらしく、実質的な失格だったとのこと)。
これに前後して、30歳を迎えたあたりで、周囲のすすめに加え「福岡を知り尽くした(華丸いわく「『ドラゴンクエスト』で例えるなら、出てくるモンスターすら会釈する、戦いもしない、宝箱は全部開けた、住民の話も全部聞いた」という状態であった)」と感じ新たな挑戦をしてみたいと思ったこと、同期の竹山の東京での活躍に加え後輩のヒロシが凱旋公演で爆笑をかっさらっていったこと、島田紳助がBS放送開局記念番組に出演した際「(略)地方どこにおっても出てくるやつは出てくる」と発言したのを信じて地方でやってきたが、いざ初めて合った際に「アホちゃうか?(メディアの発信の中心は)東京やで、何してんねん」とまるで手のひらを返すようなことを言われたなどのきっかけが重なり、東京進出を本格的に考え出す。
2002年頃から東京進出を予定していたが、様々な事情から一旦延期となり、(華丸の長女が小学校に入学するタイミングに合わせ)2005年4月にようやく東京本社に移籍した。
東京進出に伴い様々なネタ番組のオーディションを受けるが、すでにキャリアを重ねていたことからフレッシュさを求める番組においてはあまりうまくいかず、地元でのレギュラーで食いつないだ。
2005年10月『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』第6回大会に華丸がソロで出場し、優勝を果たす。このときから全国区での知名度を伸ばし始め、2006年2月『R-1ぐらんぷり』で華丸が優勝したことをきっかけに大いに注目されるようになる。
大吉は置いていかれる形となったが、格差については全く気にしておらず、特にR-1については当時大阪以外の地方芸人の立場が弱かったことや「コンビの片割れが出るのはいかがなものか」という風潮があったため、炎上を心配していたとのこと。
2008年9月『アメトーーク!』(テレビ朝日)の企画「中学の時イケてないグループに属していた芸人」に大吉が出演。このときの巧みなトークや後輩芸人から「大吉先生」と呼ばれ慕われる人柄が評価され、大吉もブレイクする。その後は『アメトーーク!』常連となり、2012年5月には2週連続で博多華丸・大吉に所縁のある芸人が集まった「華丸・大吉芸人」が放送され、同年アメトーーク!大賞にも輝いた。
また、2012年からは大吉が『たまむすび』の水曜レギュラーとなり、番組終了まで務めた。
2011年は「THE MANZAI」第一回大会に出場、決勝進出を果たすが、福岡吉本の後輩で交流も深いパンクブーブーに敗れた。
その後審査員のビートたけしに「なんであんちゃんたち出ないの?」と声をかけられたことで2014年に再出場し、優勝。翌年から『THE MANZAI マスターズ』として特別企画の演芸番組に転換したあとも、毎年番組から招待される形で出演している。
THE MANZAIでは優勝賞品として、フジテレビ深夜帯の冠番組が贈られるが、上述の通り東京進出時点でそこそこのキャリアを積んでおり、すでに地元で冠番組を持つことから賞品辞退も検討していた。一方、THE MANZAIの出場者を含め、若手芸人に全国区で活動する機会をつかんでほしいという考えから、将来活躍するであろう若手芸人・タレントを採り上げる『華丸大吉の2020』という番組が放送された。
2015年以降は「博多華丸・大吉○○周年記念公演」と題し、交流のある芸人を多数集めたライブを毎年開催している。2021年からは新型コロナウイルスの流行からしばらく停止していたが、2024年2月に「博多華丸・大吉 presents 華大どんたく supportedバイ 洋服の青山」として結成33周年記念ライブを開催している。
2018年4月よりコンビ揃って『あさイチ』のMCを務めている。
メンバー
博多華丸
(はかた はなまる)
本名は岡崎光輝(おかざき みつてる)
ボケ担当。
「食」には強い拘りがあり、アメトーークの食シリーズは皆勤賞。
モノマネが得意で、有名なものには「川平慈英」や「児玉清」などがある。児玉清ネタで「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」・「R-1ぐらんぷり2006」で優勝している。
嘘がつけず、トーク番組などでは話を一切盛らずそのままお届けする。大吉から医者(華丸)と患者(大吉)というネタを提案されたときは「俺、医者じゃないけんね」と言ったり、コンビニ店員(華丸)と強盗(大吉)というネタでは「お前はそういうこと(強盗)をするような男じゃない」と言うなど、真面目なところがある。
大吉とは非常に仲が良く、大吉が打ち上げに来ないときは元気がなく、出された料理を「大吉にも食べさせてあげたい」と言うほど。
既婚。娘が2人おり、次女はBABYMETALのMOMOMETAL(岡崎百々子)。
博多大吉
(はかた だいきち)
本名は吉岡廣憲(よしおか ひろのり)
1971年3月10日生まれ、福岡県糟屋郡古賀町(現:古賀市)出身(生まれは兵庫県神戸市)。福岡大学
ツッコミ・ネタ作り担当。
全国区では相方ほど知名度が高くなく「博多華丸・大吉のアタックチャンスじゃない方」という不名誉な扱いをされている。しかし、相方の華丸に対する不満は無く、むしろ華丸が東京でブレイクしたあたりは炎上を心配していた。
中学の時はイケておらず、同級生からは「イソップ」や「ダミー」というあだ名を付けられていた。
運動音痴であるものの、中学・高校とバスケ部に所属している。高校は別の部活に入るつもりだったが、強豪校出身だからという理由で無理やりバスケ部に入れられた。ヒョロヒョロなうえに際立って下手くそだったので他校の生徒からは「あいつは辞めたくても辞められない、なにかのっぴきならない理由があるんだろう」と「捕虜」というあだ名をつけられる。
また、文化祭で焼却炉を担当していた時にどんなゴミがきても片っ端から焼きまくっていたので「アイツに燃やせないものはない」という理由から「焼却炉の魔術師」と呼ばれていたことがある。
普段は温厚だが酒癖が悪く、後輩からは「酔うと面倒くさくてデリカシーがない人になる」と不評である。また几帳面で綺麗好きであり、今田耕司から台所に入ることを許可されている数少ない人物。
既婚。家族について触れることはあまりないが、妻が宮崎県出身であること、自宅待機させられていた頃は交際中だった妻の稼ぎを頼りにしていたことなどを語っている。また、大吉と赤江珠緒の不倫疑惑が報じられた際には、妻も(男女の関係はなく)仲が良いのはわかっていたため気にしていなかったものの、ある番組のコメンテーターが「奥さんの気持ちも考えて…」と言っていたのを聞いて急に怒ってきたらしく、平謝りしたという。
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