概要
1971年4月2日(※)福岡県生まれ、血液型はO型。本名は「竹山隆範」(たけやま たかのり)。兄と姉がそれぞれ一人ずついる。
福岡県立早良高等学校卒業。
大学進学に向けて浪人中であった1990年、小学校の同級生であるケン坊田中(現:田中健二)と共に、『代々木くんと河合くん』→『ケン坊ター坊』を結成、吉本興業福岡支社(福岡吉本)一期生としてデビューした。同期に博多華丸・大吉らがいる。その後一年ほどで吉本を退社し、上京。
1992年に、東京で偶然再会した同じく小学校の同級生の中島忠幸と『カンニング』というコンビを結成し、ボケを担当していた。しかし2004年12月に相方の中島が急性リンパ球性白血病のため長期休養、その後2006年に死去したため、以降はピン芸人として芸能界で活躍している。
カンニング時代は本名で活動していたが、相方とその家族のことを考え、現在は自身の芸名として『カンニング』というコンビ名を残している。
「いじられてキレる」という「キレキャラ」で知られるが、実は相方の中島の方が竹山より短気で怖かったらしい。また、番組によっては暴走する共演者をたしなめる、うんちくを披露するようなキャラを務めることも増えている。
近年ではコメンテーターや探偵!ナイトスクープでの探偵として活動する事も多い。また、番組によっては本名で出演することもある。
中島の死後はネタ番組などに出演する機会はほとんどなくなっており、鈴木おさむの薦めで始めた単独公演「放送禁止」が芸人としてのライフワークとなっている。本人は自身の芸能界における立ち位置として、「マルチタレント」を指向していると2020年ごろに言及している。
私生活では、15年ほどの交際期間を経て2007年に結婚。2009年に不倫騒動が出た際には妻に土下座で謝罪したことを明かしている。
芸人としてはサンミュージック所属であるが、節税のため個人事務所を30代で設立しており、妻が社長職に就いている。妻と税理士が綿密に申告を行ったため、2019年には優良申告法人として表彰を受けた。
※実際の誕生日は1971年3月30日(1970年度生まれ)だが、両親が「同学年より一年多く過ごせるから」と年度が切り替わったあとの日付(1971年度生まれ)で出生届を提出した。
人物
眼鏡とぽっちゃり体型がトレードマークとなっている。また、薄毛治療に取り組んだ結果天然パーマであることがわかり、2020年ごろからはさらにパーマをかけた髪型になっている。
父はなんらかの事業(竹山本人は幼かったためよくわかっておらず、おそらく不動産か金融関係ではないか?と語っている)を手がけており、幼少期は非常に裕福な家庭で育った。幼稚園には白いベンツで送り迎えされ、大豪邸に住み家の中には火縄銃や象牙、虎の敷物などが飾られていたという。後述する趣味のバイオリンも、元々はこの時期に数ある習い事の一つとしてやっていたことである。
しかし、竹山が9歳の頃会社が倒産し、多額の借金を負うことになる。周囲の大人が次々と豹変していく様子を目の当たりにし「お金は信用してはいけない」と子供ながらに思ったという。
高校生ごろになるとバブル景気により再び持ち直したが、竹山が上京した後に経営が傾き、借金の返済計画について話し合っていたところ父が脳出血により急死する。
父の没後、東京で暮らしていた竹山の元に突如裁判所から書類が届き、身に覚えのない13億円もの借金を負っている(※父から「負の遺産」として借金を相続した形になる。また兄は20億円の借金を背負うことになったという)ことが発覚する。借金は相続放棄という形で清算したとのことで、本人は「借金はするな、保証人にだけはなるな」が父の遺言のようなものであったと振り返っている。
一方で竹山自身も相方の中島が事故を起こした際に示談金として50万円を借金して立て替えたことをきっかけに次々と借金を繰り返すようになり、中島と共に一時は400万円以上にまで膨らんだが、最終的には債務整理により無事清算した。借金返済に追われる中、ロクにネタ合わせもできない状態でなかばやけくそになって生み出したのが「キレ芸」であるという。とはいえ、本人にとっては不本意だったらしい。
最近キレ芸が全盛期より減少したことを視聴者やメディアに指摘されている点については、「お前らが俺からキレ芸を切り離したんだろ!」と反論している。
和田アキ子の舎弟のような存在であり、和田、出川哲朗、勝俣州和の4人で「和田四兄弟」とのことである。
また先輩として上島竜兵のことを慕っており「竜兵会」の一員でもあった。
他にもとんねるず(特に木梨憲武)も尊敬する先輩として名前を挙げている。
アンタッチャブルの山崎弘也からは、しつこくイジられ、これにキレながら返すというのが共演した際のよくある流れとなっているが、プライベートでも仲が良いとお互いに言及している。
思想など
- 自身が通っていた小学校が日教組色が強い校風だったことを明かしており、日の丸の掲揚に対する見解の相違が原因で教員同士が殴り合いの喧嘩をしていた様子を目の当たりにしたと語っている。この校風の影響により当時の竹山ら生徒が日の丸や国歌「君が代」の存在を覚え意識するようになったのは中学校に入って以降だったという。
- 「戦争はいけない」という思いから日本における終戦の日にあたる8月15日には手を合わせていることを語っている。また、子供の頃に沖縄の平和祈念公園や広島と長崎の原爆資料館を訪れたことと、大人になってから知覧特攻平和会館、靖国神社を訪れた経験を語っている。
- 東日本大震災および福島第一原子力発電所事故の発生以降噴出した福島県へのネガティブな印象やそれを流す勢力に対しては批判的な立場をとり、当時出演していたラジオ番組「ニュース探究ラジオ Dig」で震災直後の福島を訪問。これをきっかけにその後も度々プライベートで一観光客として後輩芸人や妻と共に福島県各地を訪問し、Twitterで紹介。さまざまな場所で地元の人々との交流をするようになった。観光名所や温泉の良さ、食べ物や酒を始めとした県産品の美味しさに気づき、これらを知った経験を基に2019年に福島県に関する著書を上梓した。
- 原子力発電所に関しては「なくなればいい」と考えているが「思想だけ主張してもしょうがない」「現場に行って現実をちゃんと知らないと」としており、2016年5月末には実際に福島第一原子力発電所を見学。労働環境の改善状況を知り驚き、作業員の温かい人柄に触れ気さくに応じている。
- 麻薬取締官や薬物依存症患者を取材した経験があり、薬物事件が報道された際には取材で得た知識や違法薬物の使用が禁じられている理由が体に害を及ぼすためであること、および依存症に対する治療の重要さを度々語っている。違法薬物を使用している芸能人に対しては「仕事を入れない方がいい」「絶対捕まる」と警告している。
- 韓国の政治的姿勢を批判する発言を度々している。また「政治の問題と文化は一緒にしちゃいけない」「外交問題と民間の交流は分けて考えるべき」といった考えも述べており、韓国への旅行や文化交流に対しては肯定的である。韓国人による犯罪については「ああいうバカは政治問題が無くてもやるんです」「反日感情からやっていたとしたら、それはそれでバカの中のバカ」という見解を示している。
- ウイグル・チベット・内モンゴルが標的となっている中華人民共和国の人権問題については「ナチス党政権がアウシュビッツ強制収容所でやっていたことと一緒」と語っており、それらに対する報道が少ないメディアへの苦言も述べている。この問題を知って中国人を感情的に憎むことは否定的であり、中国に住む人に対して「本当のことを教えなければいけない」と考えている。
- 拉致問題、核問題、国民の栄養失調といった諸問題を起こした北朝鮮の国家体制を批判している。
- 自衛隊による災害派遣活動に敬意を表している。また、一番戦争したくない人は軍隊や自衛隊員であるという見解を語っている。
- 普天間基地移設問題に関連する辺野古移設県民投票については「(辺野古の埋め立てに)基本的には反対なんですけど、多分自分が沖縄県民で住んでたとしたら、賛成票に入れるかもしれないね」と語った。
- 憲法改正に対して「いまのままだと不便なことが起こってきている」として一定の理解を示している。
趣味・特技
- 幼少期にバイオリンを3年間習っていた。『笑いの金メダル』では「バイオリン忍者ター坊」という波田陽区のギター侍をパロディにしたキャラクターで登場していた時期がある。また、学生時代グラムロックのバンドをやっていたこともある。
- 大の女性アナウンサー好き。「週刊プレイボーイ」にコラムを連載していたこともある。
- 航空機が好きで、本人曰く乗るのも見るのも好き。航空ファン向け雑誌「月刊エアライン」で連載をしていた時期もある。
- 競馬ファンとしても知られ、グリーンチャンネルでも一時レギュラー番組を持っていた。また、一口馬主クラブ「サンデーレーシング」の会員でもあり、ブラックスピネル(2017年東京新聞杯優勝馬)や、トレンドライン、リトミカメンテ、ヴィルデフラウに出資している。
- プロ野球は地元福岡の福岡ソフトバンクホークスファンである。
- NFLファンで、特にグリーンベイ・パッカーズを応援しており、同球団の株式を保有している。テレビ番組などに私物のグッズを着用して出演することもある。
- サザンオールスターズを敬愛している。ボーカルの桑田佳祐は竹山の才能を認め、2012年にソロとして行った全国ツアーのマリンメッセ福岡公演で「青葉城恋唄」を福岡出身の著名人を称える内容に変えて歌ったことがあり、その中に竹山の名前も入れていた。