概要
再軍備を進めるドイツ軍が、きたるべき戦車戦術を担う主力戦車として開発した戦車である。貫通力に優れた3.7cm戦車砲を搭載するが、同砲は榴弾火力に乏しく、その欠点を補完する形で短砲身の7.5cm榴弾砲を装備したIV号戦車とともに運用された。
I号戦車やII号戦車を用いた戦術研究や、スペイン内戦での戦訓から現代戦車の基礎を形作る様々な新機軸と先進技術が用いられた。代表的なものとしては3人乗り砲塔が挙げられる。当時は1人か2人乗りの小型砲塔が主流であったが、車長、砲手、装填手をそれぞれ一人づつに任せることで砲撃の精度と速度が向上し、戦車長も指揮と周囲警戒に専念できるようになった。他にも全車に送受信可能な無線機を装備して各車の連携を確保、高速発揮のためにサスペンションはトーションバー式を採用するなどし、機動戦において非常に有利となった。
しかし、その開発には予想外に時間がかったためにポーランド侵攻には間に合わず、フランス戦にも十分な数を投入できなかった。また、3.7cm砲の威力では英仏の重戦車との戦闘には不十分であり、ハインツ・グデーリアンはじめ5cm砲を装備すべきとの意見も多かった。しかし5cm砲の開発完了を待つ時間的余裕はなく、初期型は3.7cm砲で妥協され、将来的に5cm砲を搭載できるだけのターレット径が確保されるに留まった。実際3.7cm砲は英仏の重戦車の前にほぼ無力であり、5cm砲の開発完了とともに5cm砲搭載型が開発されたが、それでも重戦車に対抗するためには不十分であった。さらには防御力も不十分であり、敵の対戦車砲に容易に撃破されるなどの問題を指摘されていた。
独ソ戦が開始されると、ソ連軍のT-34やKV-1に対しては全く無力であることが判明、北アフリカ戦線においても同様に対戦車戦闘能力の欠乏が指摘されていたが、増加装甲や長砲身化等の改良も既に限界に達していた。特に攻撃力の増強にはさらに大口径の7.5cm砲への換装が必要とされたが、III号戦車のターレット径では5cm砲の搭載が限界であった。
一方、IV号戦車は当初より短砲身ながら7.5cm砲を搭載しており、これを長砲身化することで更なる攻撃力の増強が可能であったため、III号戦車は主力戦車の座を譲ることとなった。
その後も機動力に優れたIII号戦車の車台は様々な自走砲のベースとして使用された。その中でもIII号突撃砲は各戦線で重宝され、終戦まで生産され続けた。
III号戦車は構想も設計も優れた中戦車で、後の戦車開発技術に与えた影響は大きかった。一方で、生産と改良が実戦で要求された水準につねに及ばなかったことから、主力戦車としては短命であった。
III号戦車の後継
主力戦車としての活躍は1943年のチタデレ作戦が最後となり、以降は後継戦車へ更新された。
この後継がパンターで、なんと『III号戦車5台分の手間で6台も作れる』という高い生産性がウリである。
この秘密が装甲版を組みあげただけの単純設計で、これは大物の装甲板を均一に作れるというドイツの工業技術あってのものだったりする。もちろんお手本はT-34。
(実際、III号戦車では装甲版を複雑に溶接した設計をしており、この手間が生産性を落としていた)
主力戦車Ⅲ号の後継という事もあって、生産にはなるべく目新しい技術は使わないという事が決められていた。そういうわけで全体的に手堅い設計でまとめられており、生産性や整備性、ひいては稼働率も高くなるように配慮されている。その結果は3年足らずの生産で6000台という生産数に表れており、(生産期間を考えれば)どの戦車よりも多く作られたと言ってもいいだろう。
第二次世界大戦戦後、フランスは再軍備に伴う装備調達を補うため、領内に残されていたパンターを軍備に組み入れた。
戦車としては強力だったのだが、いかんせん
『(パンターは)整備の手間がかかりすぎて、戦争なんかしてるヒマがない!』
と評価は散々。
だが75mmKwk42(L70)の攻撃力は認められており、
のちにフランス独自の改良型75mm砲「CN-75-50(L61)」へと発展している。
この砲はAMX-13やイスラエルのM4シャーマン改良型(M50スーパーシャーマン)に搭載され、
その後の戦争で威力を発揮している。
パンターが交代した後のIII号戦車
その後、前線から引き揚げられたIII号戦車は後方で使われた。
すでに50㎜kwk39(L60)は時代遅れだったが、車内での役割分担などは同じなので訓練には使えたのだ。
主力戦車(のひとつ)がⅣ号戦車に移ったので、本来の役割だった歩兵支援を受け継ぐためにも使われている。これが「Ⅲ号戦車N型」で、Ⅳ号戦車F1型までと同じように75㎜kwk37(L24)を搭載した。
ほかにも一部はⅢ号突撃砲にも改造されている。
生産はこの年(1943年)に工場が空襲によって壊滅するまで続き、
赤い星のⅢ号戦車
なお、ソビエトでは「スターリングラードの戦い」(1942)で捕獲した大量のⅢ号戦車(300台以上)を自走砲に改造した。これが「SU-76i」で、本来ならT-70の車台を使うところにⅢ号戦車を使っている。
生産は1943年4月~11月に行われ、Su-76からSu-76M(改良型)配備までの「つなぎ」に使われた。
Su-76iは「クルスクの戦い」(1943)で初陣を飾り、以降さまざまな戦線で活躍している。