概要
その名の通り望遠鏡を模した星座。これとは別に『ハーシェルのぼうえんきょう座』という星座もかつて存在していた。
探しかた
いて座の近く、さそり座の尻尾の真下にあるので見当はつけやすいのだが、4等星程度の暗い星ばかりな上に地平線ギリギリの非常に低い位置にある。そのため沖縄地方でもなければ全体は見られない。
南半球であればさそり座よりもくじゃく座の2等星ピーコックが目印になるだろう。
ハーシェルのぼうえんきょう座
18世紀の末に、天王星や赤外線を発見したイギリス(出身はドイツ)の学者「ウィリアム・ハーシェル」を称えて作られた。ハーシェルはニュートン式望遠鏡を使って天王星を発見したのだが、この星座は彼が発明した新型モデルをかたどっている。
ただし最初にこの星座を作った学者(マクシミリアン・ヘル)はハーシェル望遠鏡の実物を見たことがなかったらしく、ヘルの星図では望遠鏡というより鐘木のようなビジュアルで描かれている。そのためか、名前は「Telescopium Herschelii(ハーシェル式望遠鏡)」ではなく「Tubus Herschelii(ハーシェルの筒)」であった。
ついでにこの人は大小2つ作っており、当時天王星の発見されたおうし座の近くに「ハーシェルのぼうえんきょう座・小(Tubus Herschelii minor)」、ぎょしゃ座とふたご座の間辺りに「ハーシェルのぼうえんきょう座・大(Telescopium Herschel mojar)」が置かれたが、それから12年後の1801年に「ヨハン・ボーデ」という学者によって後者が採用。この時「Telescopium Herschelii」と改名&実物に合わせたデザインで描かれることになった。
そんなハーシェルのぼうえんきょう座は、1922年の88星座制定会議で消滅。
細かい理由はいろいろあるものの、人名つきの星座は基本的に「パトロン(スポンサー)ヘのお礼代わり」とか「功績の記念」といった個人的なものばっかりだったため、そんなのをいちいち認めてたらキリがないとして一斉にボツにしたのである(私情という意味ではねこ座、しぶんぎ座、アンティノウス座辺りが有名)。