概要
アタリに所属していた4人のゲームクリエイター(デビット・クレイン、アラン・ミラー、ラリー・カプラン、ロバード・ホワイトヘッド)が中心となり、分離独立する形で1979年10月1日に設立された。
現在はアクティビジョン・ブリザードの子会社「アクティビジョン・パブリッシング」として、ゲームソフト販売を行なっている。
歴史
1970年代後半のアタリにおいて、クレイン達4人はアタリのゲームソフト売上の半分以上を占める程の業績を挙げていたが、ワーナーグループ傘下のアタリではクリエイターは冷遇されていた。
クレイン達4人は成果に見合った報酬を支払うようカサール会長に直談判したものの、カサール会長は「君達の仕事よりも組み立てライン工員の仕事の方が重要」と断言。クリエイター軽視の姿勢を改めなかった。
クレイン達はアタリを退社し、音楽業界の実業家として活躍していたジム・レビーをCEOに据えてアクティビジョンを設立した。
当時はゲーム機メーカー=ソフトメーカーというのが常識であり、他社製ゲーム機へのゲームソフト供給を主事業とするサードパーティーとしては世界初となる会社だった。
それまでの業界の常識を破ってゲームソフト専業会社を立ち上げた開拓精神が評価され、アクティビジョン創業メンバーの5人は2003年のGame Developers ChoiceにてFirst Penguin賞を受賞した。
家庭用ゲームのみならず、PCゲーム市場でも成功していた為にアタリショックも何とか乗り切り、世界最大級のゲームメーカーに成長していった。
2000年6月に「アクティビジョン・パブリッシング」に改名。
同時に、持株会社として「アクティビジョン」を新たに設立。
2007年12月2日に「アクティビジョン」とビベンディ・ユニバーサル・ゲームズが合併し、アクティビジョン・ブリザードが誕生。ちなみに合併したのは持株会社の方であり、アクティビジョン・パブリッシングは存続している。