概要
1974年にモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)に入団、83年にFAを行使して読売ジャイアンツに移籍。84~90年までの在籍期間の内、3度の優勝と1度の日本一に貢献するなど、80年代の巨人打線の中軸を担った。ミート力がずば抜けており、規定打席に到達していた時に打率が.400に達したシーズンもあった。
逸話
- 1987年6月11日の中日戦で投手の宮下から背中の死球を受けた際、宮下に帽子を取って謝るようジェスチャーしたが、宮下が応じなかったためマウンド上に駆け込み宮下の顔に右ストレート(因みにクロマティは左利きである)を入れたため両軍入り乱れての乱闘騒ぎとなった。この乱闘事件の映像はこの年フジテレビで放映された珍プレー好プレー大賞でも取り上げられており、後年の同番組でも過去の珍プレー映像として度々放送されている。
- 1989年6月2日の広島戦で敬遠球を打ちサヨナラヒットにしてしまった。ちなみにこれは後年新庄剛志も行っている。
- 日本の漫画作品「魁!!クロマティ高校」が実写映画化された際、自分の名前を無断で使われたとして提訴を起こした事がある。同じく名前を使われたランディ・バースやオレステス・デストラーデにも一緒に提訴するよう呼びかけたが、二人とも寛大な態度を取った為に相手にされなかったとの事。