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概要

本名オレステス・デストラーデ・ククアス(Orestes Destrade Cucuas)
1962年5月8日生まれ。キューバ出身の元プロ野球選手。5歳の時にアメリカに亡命。
MLBではニューヨーク・ヤンキースピッツバーグ・パイレーツに所属するも、マイナーリーグ時代に右足の靱帯断裂と骨折の重傷を負い、メジャーデビューまでに6年を費やしている。
1989年に西武ライオンズと契約し入団。6月20日にデビューし83試合出場にとどまったが、32本塁打・81打点の記録を残し、その長打力と勝負強さを見せつけた。以後1992年まで在籍し、本塁打王3回、打点王2回の記録を残した。1993年からはフロリダ・マーリンズに所属、1995年にふたたび西武に所属するも怪我のために思うような活躍が出来ずそのまま引退。
その後はタンパベイ・デビルレイズのコミュニティ開発ディレクターを務めたり、日本のマスターズリーグ東京ドリームスの選手となったりするなど日米のプロ野球にかかわり続けている。

特徴

スイッチヒッターであり、日本初のスイッチヒッターの本塁打王となった。
秋山幸二清原和博と構成したクリーンナップはAKD砲と呼ばれ、他球団に恐れられた。日本シリーズでは3年連続で初戦の第1打席に本塁打を放つなど、勝負強さと集中力を高く評価され、ミスター・コンセントレーションとも呼ばれた。左投手に強く、特に、1990年当時オリックスに在籍していたガイ・ホフマンに対し、同一投手から一シーズン本塁打8本(サヨナラ本塁打を含む)を記録している。
シーズン二桁盗塁の経験が3度あるなど、走塁技術もあった。もともと一塁手だったが西武では清原和博がいるため、主に指名打者を務めていた。日本シリーズでは一塁守備に緩慢な動きが見られ、MLB復帰後もDH制のないナ・リーグでネックとなった。また、1991年にスライディングの際に尾てい骨を圧迫骨折し、その後は背中の痛みが取れず毎日守備につくことが困難になっていた。1992年の日本シリーズでは左翼手としても起用されている。1989年6月20日から1992年8月5日にかけては423試合連続出場を果たしており、これはパ・リーグ外国人選手最長記録(2019年現在)である。
また、古田敦也と共に「メガネをかけた野球選手はプロで大成しない」というジンクスを打ち破っている。

関連タグ

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