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オゴデイ

おごでい

チンギス・ハンの三男で、モンゴル帝国の2代目大汗。名前は「オゴタイ」とも表記される。
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生涯編集

即位まで編集

1186年に、テムジン(後のチンギス・ハン)とボルテ三男として誕生。

長兄はジュチ(ジョチ)、次兄はチャガタイ、弟はトゥルイ(トルイ)。

若い頃から父や兄達と共に戦に同行し、戦果を挙げていく。


ジュチとチャガタイは不仲で知られ、モンゴルでは末子相続の慣習があったことからトゥルイが後継と目されていたが、オゴデイは兄弟の誰とも良好な関係だったため、一族の和を重んじるチンギスの生前から後継者に指名されていた。


即位後編集

1227年、西夏の滅亡と時を同じくしてチンギスが陣没。2年後の1229年にクリルタイ(部族会議)で大汗に指名され、正式に2代目の大汗となる。


1232年に弟トゥルイを失うも、1234年に、チンギスが果たせなかった金朝の滅亡を完遂させると、翌1235年に首都をカラコルムに移して内政面も強化した。

対外戦争も、甥(ジュチの子)のバトゥ率いる軍勢が1240年にキエフを陥落させ、1241年にはポーランドにまで攻め込んだ。


しかし、首都建設や急拡大した領土のために財政は悪化してしまい、これが後代の帝国分裂の遠因となる。

1241年、オゴデイは後継者を決めないまま死去。その後は妻のドレゲネにより長男のグユクが1246年に3代目大汗となったが、グユクはバトゥと不仲だったため、帝国分裂の要因にもなった。

4代目のモンケ以降はオゴタイ家からトゥルイ家に大汗の座が移ったため、オゴデイの孫にあたるカイドゥ(ハイドゥ)が30年以上に及ぶ内乱(カイドゥの乱)を起こす遠因にもなった。


主な家族編集

父:チンギス・ハン

母:ボルテ

長兄:ジュチ

次兄:チャガタイ

弟:トゥルイ


叔父:ジョチ・カサル

叔父:カチウン

叔父:テムゲ・オッチギン

※いずれもチンギス・ハンの弟達


甥:バトゥ(ジュチ家。キプチャク・ハン国開祖)

甥:イェス・モンケ(チャガタイ家。)

甥:モンケ(トゥルイ家。4代目大汗)

甥:クビライ/フビライ(トゥルイ家。5代目大汗・朝初代皇帝)

甥:フレグ/フラグ(トゥルイ家。イル・ハン国開祖)


長男:グユク(3代目大汗)

三男:クチュ

五男:カシン


孫:シレムン(クチュの子)

孫:カイドゥ/ハイドゥ(カシンの子)


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