概要
1176年生~1246年没。漢字では速不台と書く。スベエデイとも。
ウリャンカイ部の出身で兄のジェルメと共にモンゴル帝国の創始者チンギス・ハーンに仕えて兄と共に「四狗」の一人に数えられた勇将。
モンゴル統一戦の頃から活動し、ホラズムへの大西征ではジェベと共にアラーウッディーン・ムハンマド追撃の任を得てホラズム西部へと進撃しムハンマドの死後はアゼルバイジャン地方に進出してイルテニズ朝やグルジア王国を撃破、その後は南ロシア平原に出て1223年にカルカ河畔の戦いでルーシ(ロシア)諸侯とキプチャク諸民族の連合軍を撃破した。
オゴタイ・ハーンの時代においても現役で金遠征に参加し、1236年から始まるヨーロッパ遠征では総司令官バトゥの副官に任じられルーシ各都市の攻略に従事、後にハンガリーに侵入して1241年のモヒの戦いではバトゥの本隊と共にハンガリー軍を撃破した。
死後に河南王に追封され子のウリヤンハタイや孫のアジュもモンゴル帝国・元の名将として名を馳せた。