概要
1859年フランス・パリ生まれ。実家が裕福だったため、他の多くの画家達のように貧困や、生活のために絵を描いて売る苦労といったものを生涯知ることのなかった恵まれた画家だった(ある一点を除いて)。
綿密な色彩理論や光学理論に基づく「点描画法」の第一人者で、代表作である『グランド・ジャット島の日曜日の午後』(1884~86年制作)はその芸術の最高峰と評される。‥‥その作品タイトルや作者スーラの名を知らなくても、学校美術教科書に必ずといっていいほど掲載されているこの名作を全く目にしたこともない、という人はおそらく殆どいないだろう。
1891年死去。31歳の若さだった。死因はジフテリア、髄膜炎、肺炎など諸説ある。
緻密な計算と技法を駆使して制作されたその作品は決してスーラスーラと手早く簡単に描ける種類のそれではなく、前述したように早世したこともあって、残された作品数は数十点程度(習作・下絵・素描の類を除く)と少ない。代表作『グランド・ジャット島――』は現在シカゴ美術館が所蔵しているが、門外不出の至宝という扱いである。「寄贈者の遺志」というのがその表向きの理由だが、
「これを外国、特にフランスなんぞへ貸し出してみろ、この名画は二度とシカゴには戻ってこねえぞ!」
という巨大な危惧があるから、というのは容易に想像できよう。