ジョン・ホワイト・シピン(1946年8月29日~)
アメリカ合衆国カリフォルニア州ワトソンビル市出身の元プロ野球選手。
1965年、カブリオ・カレッジを卒業後、ドラフトで指名されセントルイス・カージナルスに入団。
1969年、トレードでサンディエゴ・パドレスに移籍。メジャー・デビューするが、成績が揮わず1シーズンでAAAに降格した。
1971年、来日し、大洋ホエールズに入団。赤毛の長髪と髭面から「ライオン丸」と呼ばれ、1970年代の日本プロ野球界を代表する二塁手として活躍した。
バットではなく釣り竿を持って来日するなどフリーダムな性格だったが、メジャーリーグで長年に亘り活躍した実績を持つ同僚のクリート・ボイヤーには敬意を払い、何事にも「イエッサー」と従っていた。
1978年、読売ジャイアンツに金銭トレードされ、髭を剃り、髪も短くした。