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タギー

たぎー

19世紀までインドに存在していた暗殺を生業とする秘密結社。 英語の「thung」はこのタギーに由来する。
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概要編集

14世紀から存在し、19世紀に壊滅するまで200万人の殺害に関与したとされる。世襲制。ヒンドゥー教徒だけでなくイスラム教徒も同じ比率で存在した。死体をカーリー女神に捧げるため、殺害方法は絞殺に限られた。また女性やカーストの低い人はヒンドゥー教の教義に基づき狙うのを禁じた。殺害した人間から金品を強奪していた。


英語の「thug(凶悪犯を意味する一般名詞)」の元ネタとなったり、創作の題材に用いられる。

いちおうことわっておくが、日本語の詐欺は、因幡の白兎に由来するため、タギーとの関係はない。


歴史編集

タギーの歴史上最古の記録は、イスラム歴史家ズィヤー・ウッディーン・バラニーが1356年に著した『フィールーズシャーの歴史』の中に登場する。


1550年に結成され、1853年に壊滅するまで、少なくとも200万人が殺害されたと推測されている。


東インド会社時代の19世紀半ば、ウィリアム・ベンディンクインド総督、陸軍士官大尉のウィリアム・ヘンリー・スリーマン伯爵が、イギリス統治下でも長くインド人の迷信と存在が信じられなかったタギーの実態を調査。幾度にも渡る暗殺の危機にさらされながらも暴き、1835年から自らがその撲滅の責任者となり、2年間に渡る掃討作戦でタギーは壊滅。

逮捕されたメンバーの中には、1840年に刑死したベーラム・ジェメダーという男が50年間に渡る犯行で931人の殺害に関与したと伝えられており、ギネスブックにも記載されている。


スリーマンの提出した詳細な報告書はイギリス本国の人々にリアルな殺人者たちの告白集として驚きと興奮を与え、タギーの名を借りた人種差別的な伝説が捏造されるようになった。マーク・トウェインもエッセイ『赤道に沿って』(1897年)の中で、タギーの魅力に取り憑かれたと告白している。


創作編集

⋯恐らくいちばん有名なタギーが出てくる作品。ただこの映画はインドがあたかも未開の土地であり、タギーも野蛮人のような描かれ方をされており、インドの現地人から苦情を食らった点に留意されたし。


余談編集

  • メンバーの中には「私はアレキサンダー大王の時代から生きていた」と自供するような輩もいたそうだ。

関連タグ編集

インド  暗殺者  秘密結社 強盗 イギリス

カーリー女神


参考編集

  • Wikipedia(英語版含む)

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