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ドミトリー・オフチャレンコ

どみとりーおふちゃれんこ

第二次世界大戦時にソ連軍に属していた兵士。ソヴィエト連邦英雄およびレーニン勲章受賞者。
目次 [非表示]

最初に断っておくが、彼は実在した人物である。



概要

フルネームはドミトリー・ロマノヴィチ・オフチャレンコ(Дмитрий Романович Овчаренко)。1919年にウクライナのハリコフ県のオフチャロヴォ村の農家に生まれた。

農民として生活していたが、1939年にソ連軍に入隊し、第389連隊の第176歩兵師団に配属された。1941年に独ソ戦が勃発し、ドミトリーも前線で戦ったが、初陣で軽傷を負った。それ以降は輸送部隊に異動された。

また従軍中の功績を称えられてソヴィエト連邦英雄レーニン勲章を受賞した(ソヴィエト連邦英雄とレーニン勲章は共にソ連最高の栄誉称号であり、最優等の栄誉等級であった)。

受賞以後は機関銃部隊として再び前線部隊に配置される事となった。


活躍

1941年の夏半ば頃に物資を馬車で輸送していた所、50人の兵士と3人の将校から成るドイツ軍部隊と遭遇した。彼は捕虜として拘束され、将校がドミトリーの銃を取り上げてその場で尋問を始めると、すかさず馬車に隠していたを取り出して将校2人の頭を斬り落とし、更に隠してあった3個の手榴弾を投げて21人を殺害した。残りの兵士はパニックになって逃走した。

更には自身の情報がドイツ軍に流出するのを恐れた為、将校や兵士が持っていた文書を根こそぎかき集めて本部に持ち帰るという一種の諜報活動(?)まで成し遂げてしまった。


あんな人こんな人なんかと比べれば見劣りする戦果だが、50人以上の敵に銃を向けられている状況で斧と手榴弾だけでたった一人で全員撃退し、しかもその内半分くらい殺して生還しているという並外れた身体能力と運の良さを持っていたのだ。


受賞

上述の功績と「強大なナチスに屈せず立ち向かった彼の勇気」が評価され、1941年11月9日にソヴィエト連邦英雄レーニン勲章を受賞した。


最期

その後も兵士として活躍を続け、機関銃手としてドイツとの戦争をほぼまさに勝利まで戦い続けた。

しかし勝利目前の1945年1月28日、ハンガリー戦線のセレーゲイシュで重傷を負い、26歳の若さで戦死した。

死後彼の故郷オフチャロヴォ村(現在はルハンスク地方のトリニティ地区となっている)には赤軍の記念碑が建てられた。また町の通りには彼の名前にちなんだ名前が付けられている。


外部リンク

Wikipedia(ロシア語)

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