ザ・奇想天外(海軍編)
命題編
時は第二次世界大戦、イギリスはナチスドイツの「無制限潜水艦作戦」(=海上封鎖)により経済が停滞させられ、危機に瀕していた。通商航路でさえUボートの目が光り、軍の輸送艦どころか民間の商船まで見つけしだい無慈悲な攻撃を受けていたのだ。
なんとしても通商航路は守らねばならない。
だが、当時はこうした商船を守るすべは確立されておらず、船が無事にイギリスに辿り着けるかどうかは「博打(ばくち)」以外の何者でもなかった。全ては『敵に見つからないよう祈る』他なかったのだ。
そこで考え出されたのが『護衛船団方式』(「護送船団方式」とも)である。
イギリス行きの商船を予めまとめておき、それを艦隊がぐるりと囲ってがっちり護衛していくのだ。下手に手を出そうものなら、護衛の駆逐艦や巡洋艦、空母からみっちりと「教訓」を与えられる事になるだろう。こうして商船団の安全は確保され、無事に目的に到着できるという寸法である。
問題編
なんとしても護衛艦艇が必要だ。できれば監視範囲を長く出来る空母を。
そして、なるべく既存の建造設備にも負担をかけないものを。
身勝手極まりない要求は負けかけの国に多いのだが、中でもこれはスケールの大きなものだった。
なにせ、空軍を丸ごと運ぼうという空母だったのだから。
回答編(?)
そこで一つの奇想天外な考えを披露した人物がいた。
その名はジェフリー・ナサニエル・パイク。
科学者で発明家、新聞記者であり、そしてスパイでもあるという人物である。
ユダヤ系の彼はナチスの横暴には怒りを燃やしていた。
そこで思いついたアイデアは奇想天外そのもので、ルイス・マウントバッテン提督を味方につけた上、チャーチル首相に直接提案された。海軍本部を通そうものなら、即一笑に付されてしまうこと請け合いだったからだ。
その計画内容とは、
『全長約600m、全幅100m、排水量200万トン』
『28万トンの氷を切り出し、中をくりぬいて空母にする』
『動力はモーター26台、速力18km/h(10ノット)』
『艦載機は150機。しかも陸上機でもOK』
『損傷しても水を流せば完全修復可能』
というものだったといわれている。この内容から、氷山空母のあだ名でも知られる
なお、もちろん氷なので暑いと溶けてしまうのだが、そこは艦内に冷凍室を作って冷やす事で対応可能とされていた。
この計画は「ハバクック計画」と命名され、イギリス・アメリカ・カナダの3ヵ国で共同開発されることとなった。名前の由来は旧約聖書のハバクク書の一節からとされている。
一部の資料では本記事名のとおり「ハボクック」とも記載されているが、これはミスタイプが由来であるらしい。ただ後述の通り日本では「ハボクック」の方が通りが良い。
開発編
実際に製作されるにあたって、変更点が加えられた。
まず、ふつうの氷のままでは溶けやすくて仕方ないので、新素材を使った氷を使う事にした。
その名は『パイクリート』。
水にパルプを混入しておき、凍ったら繊維が結んで溶けにくくなるようにしたのだ。
さらにこのパイクリート氷は非常に硬く、単なる衝撃にはびくともしなかった。さらに融点も高くなり(融点は15℃といわれている)、もちろん爆弾や魚雷なども通用しないだろうと予想された。
計画は氷からパイクリート製へと変更され、基本は鉄のフレーム状構造にして作られる事になった。
実験編
さて、ここまで構想が出来上がったら早速実験してみなくてはならない。戦況は時々刻々、モタモタしている暇は無い。グズグズしていたらナチ公が上陸してしまう。(ゼーレーヴェ作戦)
実験は安全なカナダで行わている。
ここで様々な模型や実験モデルが作られ、中には18m×9mのものも作られた。
現実編
空母の船体はこうしてどうにかなるだろう。
だが、ドンガラだけが空母じゃないのだ。
つまり、巨大な空母に似つかわしく、各種装備や内装などの費用も莫大になってしまうのだ。
もちろん建造期間も長くなり、おとなしく普通の空母を作ったほうが早そうとまで言われてしまった。
結局、この前代未聞の氷山空母は実験用の船体が作られたのがせいぜいだった。
1943年に計画は中止され、船体は解体された。残骸はパトリシア湖に沈められ、1980年代までは現存が確認されていた。
疑問編
以上のような事実を踏まえたうえでざっと考察してみたところ、以下のような疑問が浮上した。
対策を考えていなかったわけではないだろうが、なにせパンジャンドラムを本当に作ってしまう国である。本当にちゃんと考えたのかどうか・・・
冷凍設備
溶けた分は艦内の冷凍設備で補填可能とされていたが、本当にそれで形を維持できたのだろうか。
もしかして、機械の出す熱を忘れていたのではないだろうか。現実はかくも過酷である。いくら大西洋北部で使うとはいえ、溶けるのは時間の問題だっただろう。
そもそも現実の冷凍装置は正確には「熱交換器」と言い、対象を冷やす代わりに同等以上の熱を発している(例えばクーラーは室内を冷やす代わりに室外機から熱風を出している)のであって、SF作品みたいに熱そのものが消滅する訳ではない。つまり船内を冷やせたところで周りの海水や大気は逆に熱々となり、ぶっちゃけ差し引きゼロ以下である。
加えて、空母(船)として動かす以上、機関や搭載機からの排熱(廃熱)は避けられない。頭数が増えれば搭乗員の体温も積もり積もって馬鹿にならず、そもそも冷凍機自体も電気等で動かす以上は(前述の熱交換とは別に)熱を発生させる。水の流れに逆らって動けば、摩擦でも熱が発生する。
これらの熱処理を効率的に行えなければ、すぐに内部に熱がこもり、氷山は内側から融け始めるだろう。
ディスカバリーチャンネルで放送されている『怪しい伝説』という番組で実験されており、水に浮かべる試みそのものは見事成功している。
(7thシーズン14回目「氷の船」)
だが、浮かびはしたし人間も乗れたものの、冷却装置が無かったので水温や航行の摩擦によってみるみるパイクリート氷は溶けてしまった。結果数十分ですべて溶けてしまい、後には何も残らなかったのだとか。
なお氷の融ける速度は、体積ではなく表面積に依存する。従って、理論上は氷山(氷塊)が巨大であればあるほど融けにくくなる(いわゆる「2乗3乗の法則」)。
もっとも、「融けにくい」は「凍りにくい」と同義(凍らせる際も2乗3乗の法則が適用される)ので意味は無いが。
居住性
パイクリートの融点は15℃と言われているので、館内の温度も最大15℃とされた事だろう。だが人間の体温が36℃であることを考えると、乗組員の健康に問題が発生したかもしれない。
なにせ起きているときも寝ているときも、常に最高15℃なのである。
これでは春や秋に、しかも外で寝ているのも同然なので、体調を崩す者が必ず出たことだろう。
本人
もちろんジェフリー・ナサニエル・パイク本人のことである。
チャーチル本人からは気に入られていたようで、この後もM29水陸両用雪上車の開発に関わったりもした。このM29水陸両用車は通常の装輪車両では走行できないところでも走破可能な実力が高く評価され、日本でも戦後の雪上車開発に大きな影響を与えたとされている。
また氷山空母とは逆に過冷却した水を敵艦に浴びせて敵艦を氷漬けにするという珍妙な作戦も考えていた。流石にこちらは却下されたが。つくづく雪や氷に縁のある人物だった。
第二次世界大戦終結後も発明家として活動していたが、1948年に睡眠薬自殺。動機は不明。
創作上における氷山空母
戦後氷山空母は氷山が丸々動く飛行場になるという奇抜な発想から、SF作品などの格好の題材になった。
資料によって名前がはっきりしないこともあって、作品によって「ハボクック」だったり「ハバクック」だったりする。
- 『太平洋の嵐』
1989年に発売されたシナリオ集「バンディッツ」収録の「ハバクック」にはその名の通り氷山空母「ハバクック」が登場する。日本海軍は深山改攻撃機を使って「ハバクック」を迎撃する。
- 『氷山空母を撃沈せよ!』
アメリカ合衆国海軍がエセックス級空母の代わりに建造したという氷山空母「ハボクック」と「ユナイテッド・ステーツ」が登場。
「ユナイテッド・ステーツ」はソロモン諸島で日本海軍に鹵獲され「富嶽」として運用され、「ハボクック」と氷山空母同士の対決を繰り広げる。
- 『紺碧の艦隊2』
アメリカ合衆国海軍が氷山空母「ハバクック」を建造することがある。
- 『鋼鉄の咆哮』シリーズ
メイン画像の氷山空母。『鋼鉄の咆哮2』以降登場する「超巨大氷山空母 ハボクック」。巨大な双胴船体に氷の装甲を生成し、どれだけ攻撃を受けても海水で回復する。もちろん弱点は火炎。
ともに「ハボクック」を擬人化したキャラクターが登場。