ハリー・パークスとはイギリスの外交官で慶応元年(1865)来日し公使となった。薩摩、長州の支援をした。
生没年(1828・2・24~1885・3・22)
スタッフォード、バーナーズホール出身
幼少期に両親を亡くし1841年10月アヘン戦争があった極東に行き清国駐在イギリス当局に就任。
アロー戦争では捕虜となった。慶応元年(1865)来日した。薩摩に来た時には歓迎を受けた。薩摩藩では戊辰戦争では中立を保ったが野戦病院の開設を願いに来た薩摩藩士2人に恭順してもなお徳川慶喜を追討しようとする新政府軍の方針を国際法違反だと抗議した。大隈重信とキリスト解禁を巡って議論になったが国際法に精通した大隈の理路整然とした弁舌に圧倒され解禁は取りやめとなった。この後大隈と懇意となった。
明治政府の政策支援を行ったが条約改正に反対し1883年に駐清全権公使に就任後リウマチで没した。