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ソロモンの死後、イスラエル王国はソロモンの息子レハブアムが支配するユダ王国と、預言者に選ばれたヤロブアムが率いる北イスラエル王国に別れた。ユダ王国の王は初代国王レハブアムを初めとし代々あまり神に忠実ではなかった中で、第13代国王に当たるヒゼキヤはそれを払拭するように宗教を復活させようと尽力した。紀元前687年に54歳で没したとされる。

預言者イザヤに多く助言を受けていた。


改革編集

エルサレムにはソロモンの造った神殿があったのだが、ここでは偶像崇拝が行われていた。ヒゼキヤはそうした爛れた信仰を取り払う為に偶像を破壊。モーセの銅の蛇(ネフシュタン)も偶像にされていたため他神教の像と共にこの時破壊された。

過越を復活させ、北王国の10支族も招いた。ただし招かれた支族の多くは応じなかったようだが。分断されたイスラエルを政治的な手段で戻す事ができず、宗教的な手段で戻そうとしたものと思われる。

また、彼は学びの家(ベート・ミドラーシュ)の前に剣を立て「神の法を学ばぬ者はこの剣で打たれるべき。」と言ったらしい。事実かどうかは定かではないが、お陰でこの頃のユダ王国の者たちは浄と不浄を弁えられたのだとか。


この様に、神ヤハウェに寄り添い、ユダ王国の中では最も清い王とされる。


戦争編集

彼の統治中に新アッシリア帝国のサルゴン2世が死に、センナケリブが王となった。センナケリブはアッシリアへの反抗勢力を叩き潰す軍事遠征を積極的に行う。

これにヒゼキヤは対抗する。王宮の財宝やヤハウェ神殿の金を取り除いてでも資金を作りセンナケリブに送り引き下がる様に繕うが向こうの軍は聞かずユダ王国に遠征を仕掛ける。しかしヒゼキヤは既に堅牢なエルサレムに城壁を足して更に守りを固め、内外周辺の水源を掌握し籠城戦に備える。それでもセンナケリブの軍がエルサレムに迫りヒゼキヤとユダの民を鳥籠のように閉じ込め、民の信仰を揺さぶる様な言葉を送る。

しかしエルサレムは最終的に無傷で生き残りセンナケリブの軍は撤退した。このセンナケリブ軍の遠征の際にヒゼキヤに仕える預言者イザヤは「街は守られセンナケリブの目論見は失敗に終わる。」と言い、ヤハウェの使者が一晩にしてアッシリア軍を18万5000人殺害した。…と、いうことになっている。これはエルサレムを奇跡が救うという話の為の誇張表現と見做される事が多い。また、この時アッシリア軍は何らかの疫病により被害を被ったとする説が有力。


いずれにせよ、ユダ王国の大部分を攻め落としたセンナケリブだが、エルサレムは最後まで彼の手に落ちなかった。その後センナケリブは息子のアルダ・ムリッシ(聖書にはアドラメレクと記される)とその兄弟の1人に殺害される。


晩年編集

ある時ヒゼキヤは病に陥る。預言者イザヤによると「貴方はもう死ぬのでそれに備えなさい」とのこと。だが彼は神に祈ったので、イザヤは「神は貴方の祈りを聞き入れた」と伝える。そしてその通り彼は全快する。

この話を聞き諸国から全快祝いに使節が集う。自分の「正しさ」に酔ったヒゼキヤはエルサレムの財を自慢してしまう。これにより、預言者イザヤは「後の世代、ユダの民はバビロニアに捕らわれるだろう」と言った。


その後もヒゼキヤは神に祈り続け15年生きながらえた。

そもそも彼が病に陥ったのは子孫を残すという大事な神の使命をヒゼキヤが怠っていたからという話がある。彼はイザヤの娘と結婚し、息子マナセを残した。

別の話ではヒゼキヤとイザヤのどちらがどちらに敬意を払うべきかのいざこざが原因だともされる。こちらでは死を宣告されても絶望せずに祈り続けたので病は払われた。

また別の話では罪を犯したので罰として病を自ら望んだとも。しかし傲慢な態度だったので後の世代は捕らわれることになってしまう。



その他編集

  • ヒゼキヤ王及び預言者イザヤによる物と思われる碑文がそれなりに見つかっている。特に、籠城に備えて地下水路を掘りエルサレムに水を確保した事を記すシロアム碑文は特筆すべき発見である。
  • センナケリブの遠征に関して、センナケリブ側の記録はイザヤの言う天使による被害の話は一切無い。また、金銀の支払いは籠城戦の前ではなく後に払われた扱いになっており金額も増やされている。アッシリアの栄光を讃える為の記録なので不都合な部分は残されなかったり変えられたりするのは当然だが、真相は不明のまま。しかしエルサレムは最後まで落とせなかったのは事実の様(支払いをされたのでセンナケリブは実質軍門に降った扱いをしているが)。
  • 先王であり彼の父であるアハズは、あろうことか彼をモロクの贄にしようとしてた。これに対し母は彼をサラマンダーの血で聖別し、モロクの火に焼かれずに済んだ。…という話もある。

聖書、ラビ文献、ミドラーシュ、と様々な出典から差異は見られるが、総じてユダ王国の王の中では謙虚な方であった事は概ね共通しており、ユダ王国で最も偉大な王という扱いをされる。


ユダ王国歴代統治者一覧編集

何代目国王概要
初代レハブアムソロモンの息子。横暴。ファラオシシャクの侵攻により国は荒らされる。
2代目アビヤムイスラエルを再統一しようと北に戦争を仕掛けた一方で神に背いたという話も。
3代目アサ偶像を破壊し他国の戦争に勝利した。が、神に頼らなかったので脚を病に犯された。
4代目ヨシャファト神に従う統治を行う。だが神に忠実じゃないアハブやアハズヤと同盟を結んでしまう。
5代目ヨラム兄弟6人を殺し即位、アハブの娘アタルヤと結婚し、神に背いた為に民からも背かれた。
6代目アハズヤヨラムとアタルヤの子。父に対するイェフの謀反に巻き込まれ、父を殺され自身も致命傷を負う。
7代目アタルヤ北イスラエルから来たアハブの娘。唯一の女王で、ダビデ王朝を滅ぼそうとした最悪の暴君。
8代目ヨアシュアハズヤの子。大司祭エホヤダの手でアタルヤのダビデ家抹殺から逃れ、成長してから反旗を翻す。だがエホヤダの死後に自身も神に背き、暗殺される。
9代目アマツヤ最初は神に従ってたが途中から横暴になり、戦争に敗れ後に父同様配下に暗殺される。
10代目ウジヤ最初は神に従い国を豊かにしたが傲慢になり神に見放され病に犯された。
11代目ヨタム戦いに備え色々建築し、アモン人との戦いに勝利した。しかし北の多神教が国に入り込んでしまう。
12代目アハズアッシリアの軍門に降り服従した。アブラハム宗教消失の危機。
13代目ヒゼキヤ父アハズの行いを正すように宗教改革し神に従いイスラエルを守り抜く。
14代目マナセ預言者達を刃に掛け、アッシリアの主神を拝む。彼の凶行がユダ王国の崩壊の原因とされる。
15代目アモン父同様に偶像崇拝に染まってた。配下に暗殺される。
16代目ヨシヤアッシリアの衰退に伴い偶像を破壊しヤハウェ信仰を大々的に勧める改革を行う。だがバビロニアに敵対しアッシリアの支援に向かうエジプト軍を妨害しようとして矢に討たれる。
17代目ヨアハズ父の死に伴い即位したが数ヶ月でエジプトのファラオネコ2世に連れ去られ幽閉、王位は兄のエホヤキムに渡る。
18代目エホヤキム横暴で爛れてた。先にエジプトに、後にバビロニアに服従し重税を払っていたが機を見て反旗を翻す。しかし逆にバビロニア軍により殺されてしまう。
19代目エホヤキンエホヤキムの子。即位してすぐネブカドネザルによってバビロニアに連れて行かれる。謙虚に生き、長年幽閉された末にネブカドネザルの死を以て開放された。
20代目ゼデキヤ連れて行かれたエホヤキンに代わり即位した、エホヤキムの弟でエホヤキンの叔父。だがユダ王国はバビロニアに捕らわれ、ゼデキヤの子は全て彼の目の前で処刑される。彼は失明させられ死ぬまで鎖に繋がれた。

関連タグ編集

聖書 旧約聖書 イスラエル エルサレム 信仰 水路 籠城

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