概要
1961年にウィルソン3兄弟がいとこのマイク、ブライアンの同級生のアルとともに結成。当初はバンド名をペンデルトーンズとするはずだったが、マネージャーを買って出た3兄弟の父マレーによってビーチ・ボーイズにさせられる(おそらくデビューシングルの曲名が「サーフィン」だったからと思われる)が、サーフィンに興味があるのはデニスだけだった。
メンバー
メイン画像前列中央。ベース・キーボード・ボーカル担当。ウィルソン3兄弟の長男。リーダーとして多くの曲を手掛けたが、1964年に精神不安定を理由に作曲に専念し表舞台から退く。1976年に復帰するが、その後も休養と復帰を繰り返す。2012年にマイクによって解雇される。
メイン画像後列右。ドラムス・キーボード・ボーカル担当。ウィルソン3兄弟の次男。メンバーで唯一サーフィンを趣味としていた。1983年にヨットから転落死。
メイン画像前列右。リードギター・ベース・ボーカル担当。ウィルソン3兄弟の三男。ブライアンのセミリタイア後はバンドの中心人物となるが、1998年に肺がんで死去。
メイン画像後列中央。リードボーカル・サックス担当。カールの死後バンドの実権を握り、2012年にブライアン、アル、デヴィッドを解雇する。
メイン画像前列左。リズムギター・ベース・ボーカル担当。1962年に歯医者を目指すため一時脱退、翌年復帰。1998年にバンドと距離を置くが、権利をマイクとブルースに独占されないように籍を残す(これはブライアンも同様)。2006年にバンドに再び合流するが、2012年に解雇される。
キーボード・ベース・ボーカル担当。1965年にグレンの後任としてブライアンに代わるステージメンバーとなる。
ギター・ベース担当。1964年から1965年までブライアンの代役を務めた。
リズムギター担当。1962年にアルが脱退した際に加入。しかし歌唱力に乏しく、素行不良だったためすぐに解雇される。2006年に復帰、2012年に再び解雇。
メイン画像後列左。ドラムス・キーボード担当。1971年から1974年まで、手を負傷したデニスに代わりドラムを叩く(その間デニスはキーボードを担当)。
ギター・ベース担当。1971年から1973年まで在籍。
関連動画
上記で述べているデビューシングル、「Surfin U.S.A.」。
夏になると有線放送やラジオなどで耳にする機会も多いはず。