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概要

イタリア海軍が建造したザラ級重巡洋艦2番艦。

艦名は、アドリア海に面するクロアチアの都市「リエカ」のイタリアでの呼び名「フィウーメ」から。

1929年4月29日起工、1930年4月27日進水、1931年11月23日竣工。

1936年7月17日、スペイン内戦が勃発。海上監視のため派遣される。

1939年4月7日、イタリア軍がアルバニアに侵攻。イタリア陸軍の上陸を援護する。

1940年7月9日、カラブリア沖海戦に参加。

11月27日、メンテナンス中のザラに代わり第1戦隊司令官ペッテグリーノ・マッテウッチ少将の旗艦としてスパルティヴェント岬沖海戦に参加。

1941年3月26日、アレクサンドリアからギリシャへ向かうイギリス輸送船団を目標として出撃するアンジェロ・イアチーノ中将率いるイタリア艦隊に参加してタラントより出撃。

3月28日、輸送船団の護衛に出撃したイギリス海軍とクレタ島西岸沖で交戦(マタパン岬沖海戦)。夜、ザラ、駆逐艦4隻と共に、損傷したポーラの救援に向かったが、至近距離からのイギリス地中海艦隊の攻撃を受け、戦艦の砲撃により大破炎上し、右舷に転覆。その状態で45分間ほど浮いていたものの23時15分に沈没した。

艦長のジョルジョ・ジョルジス大佐を含む813名が戦死を遂げた。

マタパン岬沖海戦では、他にザラ、ポーラ、駆逐艦ヴィットリーオ・アルフィエーリジョズエ・カルドゥッチも沈没した。

イギリス艦隊が近距離に居るにもかかわらずイタリア艦隊司令長官アンジェロ・イアチーノ提督がポーラの救援を命じたのは、それまで空軍からの情報が誤報だらけだったので陸上からの英艦隊の観測を信じたが、それも間違っていた為と言われる。

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フィウメ(重巡洋艦)
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