概要
横山隆一(1909年-2001年)による4コマ漫画作品。
1936年10月から1937年7月まで、東京朝日新聞(現・朝日新聞東京本社版)夕刊に「養子ノフクチャン」という名称で掲載されたのが始まり。その後中断・再開・タイトル変更を繰り返しつつ、1944年3月4日まで掲載された。なお、1938年1月から1939年7月6日まで掲載された「フクチャン部隊」および1940年1月に掲載が開始された「ススメ!フクチャン」から「フクチャンレンセイノ巻」1944年1月18日掲載分までは朝刊連載、それ以外のタイトルに「フクチャン」とついた作品は夕刊の掲載である。
なお、中断期間中は、スピンオフ作品が2作品掲載されている。そもそも「養子ノフクチャン」自体、1936年1月から9月まで、東京朝日新聞夕刊に掲載された「江戸っ子健ちゃん」からのスピンオフ作品だった。
1945年になって、朝日新聞西部本社(福岡県)が編集し、九州地方向けに発行されていた、防衛新聞と言う新聞に「防衛フクチャン」と言うタイトルで掲載された。
さらに第二次世界大戦後は共同通信社からの配信という形で地方紙に掲載されたことがある。また、サンデー毎日に「デンスケ★フクちゃん」と言うタイトルで掲載されたこともある。ちなみにデンスケは、毎日新聞に掲載されていた、同じ横山隆一による4コマ漫画作品である。
1956年1月、毎日新聞朝刊に「本格復帰」を果たし、1971年5月31日に最終回を迎えた。なお、その最終回は、作者・横山隆一が「お前さんをこき使ってすまなかった」と謝罪(自虐)、「これからは誰も見ていない所で遊ぶんだよ」とねぎらいの言葉をかける、という楽屋オチ的なものだった。
アニメについて
1942年から1944年にかけて、松竹の関連会社・松竹動画研究所の手によって3作品がアニメ映画化された。ただし、作られた時期が時期なだけに、戦争が絡んだものだった。
1962年に東宝系の映画館で、オムニバスアニメ映画「おとぎの世界旅行」が公開されているが、その中に、「ロケット・フクちゃん」という作品が含まれている。
その後、シンエイ動画の手によってテレビアニメが作られ、1982年11月から1984年3月まで、テレビ朝日系列局の他、TBS系列局6局、日本テレビ系列局4局、フジテレビ系列局5局(ただし新潟総合テレビについては新潟テレビ21開局に伴いそちらに移管)にて放送された。放送日時は火曜19:00-19:30だったが、テレビ朝日系列局でも、放送日時を差し替えた局が約2局存在していた一方、先に挙げた新潟総合テレビは同時ネットで放送していた。
テレビアニメ版はかなりオリジナルの要素が加えられている。例えば、フクちゃんのおじいさん・福太郎は、本来は母親の兄だが、アニメでは母親の父に変えられていた。つまり、ガチで実のおじいちゃんになってしまったのだ。
その他
愛用している学生帽(角帽)にちなんでか、早稲田大学のマスコットキャラクターになった。
(使用について作者自身が承諾している。更に早稲田グッズのコラボTシャツもある。)
また、石川県の日本酒メーカー・福光屋のマスコットキャラクターも務めている。
さらに、この漫画にちなんだ「フクちゃん」なる小惑星が存在する。ちなみに発見したのは横山隆一と同じ高知県出身者である。