概要
生年月日 | 2004年2月16日 |
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英字表記 | Fusaichi Ho O |
性別 | 牡→騸 |
毛色 | 鹿毛 |
父 | ジャングルポケット |
母 | アドマイヤサンデー |
母の父 | サンデーサイレンス |
競走成績 | 11戦4勝 |
管理調教師 | 松田国英(栗東) |
生産 | ノーザンファーム |
2004年のセレクトセールで関口房朗氏に1億円で落札される。馬名はインターネットで公募された。
2006年10月、東京競馬場の新馬戦でデビューし1番人気に応えて快勝。2走目の東京スポーツ杯2歳ステークスではドリームジャーニーやフライングアップルなどのオープン馬を押しのけて1番人気に推されてこちらでも勝利を収める。続くラジオNIKKEI杯2歳ステークスでも勝利を収めている。
2007年は共同通信杯より始動し、こちらでも優勝を達成したことで無敗で重賞3連勝と共同通信杯の親子制覇を成し遂げた。
続く皐月賞ではアドマイヤオーラに圧されて2番人気となるものの、ヴィクトリーとサンツェッペリン相手に3着に敗れる。第74回東京優駿では1番人気に推されるも7着となる(1着はウオッカ)
秋は神戸新聞杯より始動。1番人気に推されるがドリームジャーニーに敗れ、菊花賞でも8着。ジャパンカップダートでは10着のフリオーソに大きく引き離されて11着という結果に終わる。
4歳を迎え、中山金杯から始動するも15着、京都記念でも15着に終わり、4月に屈腱炎を発症したことで引退した。
種牡馬入り
引退直後はノーザンホースパークで乗馬となる予定だったが、2008年8月に全妹のトールポピーが優駿牝馬で優勝したことで、種牡馬入りが決定。4シーズンで33頭の産駒を送り出した。主な活躍馬に2014年の安房特別で勝利を収めたケンブリッジサンがいる。
リードホースへ
2013年の種付けシーズン途中で種牡馬から引退し、去勢されてせん馬となった。ノーザンホースパークで若手スタッフ向けの乗馬となったが、歩様が悪かったためノーザンファームへと戻された。
その頃、ノーザンファームと関係の深いレイクヴィラファームでは、せん馬を離乳した仔馬たちの面倒を見るリードホースに使用していた。それをノーザンファームの担当者が見て
「フサイチホウオーをリードホースに使えないか?」
と考えた。これによりフサイチホウオーはリードホースとして馬生を送ることとなったのだが、これがまさかのドンピシャリ。牧場スタッフから「先生」と呼ばれ、「フサイチホウオーがあと3・4頭欲しい」と言われるほどリードホースとしての適性が高く、せん馬・引退した種牡馬の新たな道を切り開いた。