プロフィール
名前 | フーベルタ・フォン・ボニン |
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身長 | 168cm |
年齢 | 18歳(1939年) |
誕生日 | 8月3日 |
原隊 | カールスラント空軍 第52戦闘航空団 第4中隊 |
所属 | 第503統合戦闘航空団「タイフーンウィッチーズ」 |
階級 | 少佐 |
使用機材 |
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使用武器 | MG34 |
CV | 甲斐田裕子(秘め録CD 下)※ |
※声優のほうが先に付いていて、2012年10月に島田フミカネ氏がtwitterにて発表。
イメージモデル
名前:フーベルタス・フォン・ボニン (1911-1943)
所属:ドイツ空軍
撃墜数 77
その他
エーリヒ・ハルトマンがJG52着任時の飛行隊司令。
スペイン内乱でコンドル軍団に属し4機を撃墜。JG26に所属していた英本土航空決戦では9機、東部戦線以降に40機以上のスコアを記録したベテラン。
背が高く、長い黒髪を後ろに撫でつけた細面の風貌。前線の佐官らしく軍装は小汚い。
「ここでは撃墜数だけがものをいう。階級とか、他のくだらぬものはどうでもいい。地上では軍律があるが、空中では最多数撃墜のパイロットで、戦闘技術と経験に優れたものが指揮をとる。この規則には、私を含む全員が服従する。もし私より撃墜数の多い軍曹と一緒に飛べば、私は軍曹の指揮に従う(以下割愛)」―――『不屈の鉄十時エース』より。この言葉通り、交戦中の部下グリラフスキー中尉の命令に従い、興奮から出た悪態を戦闘後に笑って受け流している。
人物像
首都ベルリン近郊のポツダム出身で、昔からウィッチを輩出してきた貴族の家系。
幼時からウィッチとなる事を当然と考えて育ち、日々訓練を欠かさず、一族の現役ウィッチから士官の心得を教え込まれ育つ。
戦闘に無関係な事には一切こだわらない、実用性一点張りの性格。
軍装にこだわりを持つカールスラント軍人には珍しく、身なりに無頓着。そのことで、服装に厳しいシェルバネスク中尉によくうるさく言われる。しかし、貴族出身のためその気になればドレス等いくらでも着こなせる。
戦場では徹底した実力主義者で、僚機が最下級軍曹であっても、撃墜数が多ければ(=実力が上であれば)空では命令に従うと公言している。
年齢の割に落ち着いており、その老成した雰囲気から歳若いウィッチには母親のように慕う者もいる。
唯一とも言える趣味としてチェスを嗜むが実力は高くない。
対戦を通じて相手の人物像や性格を見る事を楽しみにしている。
経歴
適正発現と同時に軍に志願、ベルリンの士官学校に入校し優秀な成績で卒業。卒業後は少尉任官。
1936年のヒスパニア戦役では技能優秀者を選抜して設立されたヒスパニア防衛の義勇部隊・第88戦闘飛行隊に参加し、ガランド中尉(当時)率いる第3中隊に所属。
この活躍で中尉に昇進、同戦役従軍者向けに作られた勲章「ヒスパニア十字章」第二位の黄金剣付き十字章を授与される。
中隊長がガランド中尉からメルダース中尉(当時)に変わると、同中尉の編み出した新戦法をいち早く呑み込み4機撃墜を達成。
特に将来有望な少尉と見なされており、優秀な両指揮官の下で戦った事から同じく有能な指揮官としての片鱗を見せ始める。
戦役後は大尉に昇進し、第26戦闘航空団第5中隊に転属。経験を積み重ね第52戦闘航空団第4中隊に再転属。
この時期のJG52に配属されたのが訓練学校を出たばかりのハルトマン少尉(当時)とマルセイユ少尉(当時)。
後に第54戦闘航空団に転属し、第1飛行隊隊長、次いで航空団司令を経てタイフーン作戦を迎え、第503統合戦闘航空団「タイフーンウィッチーズ」設立に尽力する。
司令にとの声が上がったが年齢的な事情もあり辞退、サフォーノフ中佐に司令の座を譲る。
サフォーノフ中佐からの強い要請により副司令に就任。部隊運営と人員育成、他部隊や総司令部との折衝を主任務とし、積極的に補佐を勤めている。
関連タグ
JG52 ゲルトルート・バルクホルン エーリカ・ハルトマン グンドュラ・ラル エディータ・ロスマン ヴァルトルート・クルピンスキー ヨハンナ・ウィーゼ ハンナ・ユスティーナ・マルセイユ