「こんなもの、あってはならないんですよ・・・!」
解説
主人公たちが過去のレブレサック村に訪れるのだが、そこは濃霧によって封印された地だった。村の人たちは教会に巣食う魔物が犯人だと決め付け、依頼を受けた主人公たちは村人ルカスの協力を得て討伐に向かうのだが……。
実は教会の魔物は、真犯人ボトクによって姿を入れ替えさせられた神父であった。神父は「ボトクと姿を入れ替えて村に戻るなら村人には手を出さない」という取引を飲んだのだった。
この事実を知らなかった村人たちは魔物(神父)を火あぶりにして処刑しようとするが、真実を知ったルカスに待ったを掛けられ、またボトクが倒されたことで神父も元の姿に戻り、何処かへ旅立った(因みに時系列ではプロビナで起きた事件より前のようだがその地で神父は壮絶な最期を遂げてしまう)。
過去のレブレサックの人々はその過ちを二度と忘れないよう、石碑に刻んで村の広場に残していた。
だがしかし、現代のレブレサックではその石碑が別のものにすり替えられており、村を襲った魔物は主人公達で神父が村を救った、という村にとって都合のいい話に改変されていた。
だが、村の子供達によって村長宅の地下から本物の石碑が見つかり、主人公らがそれを村長に突きつけると、村長は部屋にあった斧で石碑を主人公達の目の前で粉々に砕き、隠蔽。結局真相を知るのは主人公達と石碑を見つけた子供達だけで他の村人達は石碑を真実であると信じ込む。
後に魔王が復活した後は、村の外の人間は敵であるとまで思い込んでいる。『ドラゴンクエストⅦ』のイベントの中でも特に後味の悪いイベントである。
レブレサックへの評価
このような一連のイベントのため、プレイヤーからのレブレサックでの評判はすこぶる悪い。
とはいえ、村長からしてみれば、先祖の美談を村の目玉として扱っているという現状があるため、それを急に「全て捏造でした」と話して今更村と村人を混乱させたくなかった、などの決断もあったものと思われる。
そもそもの話、先祖の罪はあくまで先祖の罪であり、子孫には何ら関係がない。にもかかわらず失敗を石碑に残すのは「先祖の罪を代々忘れず語り継げ」「お前達は罪人の子孫だと自覚しろ」と押し付けているとの解釈を受けかねず、後の世代にとっては精神的に重荷になってしまうものである。結局、真実を語り継ぐのが良いと断言出来るのは、主人公達が何の責任もない通りすがりだからでしかないのだ。
この点はメルビンもコメントを述べており、
「村長どのの立場では致し方ないとも言えるが、どうもスッキリしないでござる」
と納得はしていないまでも理解は示している。とはいえ、
「あやまちをみとめる勇気も大切と思うでござる」
とも話しているが。
実際、過去の教訓を無視するのも問題である。
魔王復活後には極めて排他的になるなど、村人の精神性に悪影響を与えているのは否めない。
「都合の良い物を信じて都合の悪い物には蓋をする」と言う考え方が、このような排他的な村社会を生み出してしまった可能性は高い。
何より、村長の行動は、同じ悲劇を繰り返さないと決めた祖先の決意を無にしているのであり、人類史的な長期的視点で見れば非常に問題のあることである。
そもそもこの辺りを突き詰めると、石碑を都合の良いように改変した、過去と現在の間のレブレサックの住民が最大の元凶であると思われる。プレイヤー視点から見ると、直接対面出来ない相手なので忘れられがちだが。
過去の住民は反省の証、現在の村長は村の運営と言う都合から同情の余地があるが、この中間の住民の行為は論外である。仮に、正しい(過ちの)歴史を語り継ぐ事について何らかの問題が発生したとしても、それを語り継ぐのを止めれば良いだけで、自分たちに都合の良い歴史に改変するに至るのは、何ら正当性がない。
現在のレブレサックの住民は、こうした先祖の行いの被害者であるとも取れる。
なお、この現代のレブレサックでの出来事への他のパーティーメンバーの反応は以下の通り。
アイラ
「真実は闇の中……か」
「みんなこの先もずっと、間違った歴史を信じていくのかな」
ガボ
「ちっくしょーっ!村長さんなんで古い石碑こわしちまったんだよっ!?」
「ほんとのことわかったのに、なんであんなことすんだ?オイラくやしいぞっ!!」
マリベル
「……神父さまも神さまもこいつらなんか助けちゃくれないわよ!」
「……あたしたちが、だからやるしかないのよね」
アイラは憤るでもなく、呆れるでもなく、村と村人たちの未来を案じているとも諦めているとも取れる複雑な心境を口にし、ガボは実にガボらしく、真実が壊された事へのストレートな心情を述べ、マリベルは、村と村人に悪態を吐きつつも打倒魔王への決意を新たにする言葉を残す。
他のイベントでも同様だが、彼らなりの様々な感想を話してくれる。
ドラゴンクエストシリーズで会話システムが実装されたのは『ドラゴンクエストⅦ』からであり、レブレサック以外にも様々な場所で仲間と会話が出来るが、このレブレサックでは特に仲間からのコメントを聞きたくなったプレイヤーも多いのではないだろうか。
しかし、こうなったのも元はといえば魔王オルゴ・デミーラ及びその手下であるボトクらのせいなのだが。
とはいえ、レブレサックには偏屈な人間のみが住んでいるわけではない(一応、犬等の動物もいるが当然ながら罪はない)。リフの家系のように真実を知っている家系も存在し、彼らも村民に嘘つき呼ばわりされていたのである。偽の歴史を信じていた村の子供達もようやくリフの言っていた事が真実だと理解したので、村長があのような行動に走り、村人たちが過剰に排他的になった後でも自分たちだけは村を守ろうと1日に3回パトロールを続けるように。
残された希望がレブレサックが変えてくれる事を祈るばかりである(しかし、たった1人だけ未だに偽の歴史を信じ続けている女の子がおり、そう簡単には状況が一変しないであろうことが示唆されている)。
なぜこんな話があるのか
エピソードは胸糞の悪い結末に終わっているが、脚本論の観点からは物語のバッドエンドは、我々が正しいと思いたい価値観のアンチテーゼを示すことで逆説的に正の価値を浮かび上がらせる手法である。ここから構造的な読み解きが可能である。
その構造的ギミックは、世界中でしばしばみられる類の、共同体の抱くトラウマによって振り回されるものと、その影響を受けずに成熟できたものという精神分析的な分岐点を書き出していることにある。
過去に起きた被害は原理的に取り消せないし、一度起きたことを元に戻す方法もない。直接責任のない後の世代にできることは、二度と愚を繰り返さないと決めて実行していくことだけである。
レブレサック関連では村長の行動ばかりがやり玉に挙げられがちだが、彼はあくまでもエピソードの登場人物のひとりであり、ストーリー構造としては石版が砕かれて少し後、魔物が出現した後の保身的で妄想的な村人と、非常時だからこそ自分たちがしっかりしなければ、と涼しい声で語る子供たちの健全さの鮮やかな対比までを含めて現代レブレサックの物語全体である。
暗い、救われないと言われがちな『ドラゴンクエストⅦ』のエピソードには他にも人間の愚かさを扱った話が多く、逆説的に道理や困難さを説いていることが多い。少し目線を変えてみると、リテラシーが上がるであろう。
また主人公達が歴史改変をしていくゲームである事を改めて意識すると、この村の存在意義を考えるきっかけになると思われる。
余談
因みに、原作の『ドラゴンクエストⅦ』では別にこのイベントを起こさずに石版を回収して進む事も可能だったので、直前にセーブなどをしているプレイヤーはわざわざリセットしてこのイベントを無かった事にしたり、事前情報を仕入れて行わないというプレイヤーも少なからず居た。
しかし、ニンテンドー3DSのリメイク版ではこのイベントを見終わらないと石版が手に入らないという仕様に変わったことにより、否が応にもこの後味の悪いイベントを強制的に見せられる事になった。
なお一部のプレイヤーに「ここを封印したことがオルゴ・デミーラの唯一の善行」などと評されているが、そもそも村人たちを虐げ疑心暗鬼に陥れ神父の悲劇を起こした元凶はボトクとデミーラであるためかなり的外れな暴論である。
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他山の石…先祖の過ちを学習材料とすべし