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下間頼廉

しもつまらいれん

戦国時代の武将・僧侶。浄土真宗(一向宗)の指導者である本願寺顕如に仕えた坊官。1537年~1626年
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概要編集

通称は源十郎。

本願寺顕如の側近で1570年(元亀元年)に織田信長との間で石山合戦が勃発した際は石山本願寺防衛の指揮官として織田軍と戦い、その奮戦ぶりから鈴木重秀と共に「大坂之左右之大将」と呼ばれた。


1580年の石山合戦終了により顕如と共に本願寺を退去し、秀吉の時代には本願寺町奉行となる。その後の本願寺の東西分裂の際は西本願寺の准如(顕如の三男)側に付いて子孫も西本願寺に所属した。


評価編集

人呼んでバトル坊主

石山合戦において信長との対決を10年続けられたのも、頼廉の力によるものが大きい。信長を相手に90歳という大往生をやってのけたのも恐ろしい。


信長の野望シリーズ編集

史実で織田軍を苦しめた石山本願寺の軍事指揮官という事もあって初期シリーズから高い戦闘力を持ち、智謀も高く鉄砲適性も当然高いというように敵に回すと相当な強敵となる。


寿命が長い人物であった為、石山合戦終了後のシナリオでは浪人として登場する事もあり創造PKの関ヶ原シナリオの豊臣家のように即浪人から登用して以後不動の主力という事にできる作品もある。


政治力は長らく低めの評価であったが、本願寺の重鎮という事が評価されて創造以降は高め。


関連タグ編集

戦国時代 武将 僧侶  石山合戦

浄土真宗 仏教  リアルチート


関連人物編集

本願寺顕如


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