概要
旧与野市(「よの」と読む)域のほぼ全域が該当。
区名の由来は、旧岩槻市の編入前までさいたま市のほぼ中央(というより浦和と大宮の中間)に位置していたこと、さいたま新都心を区内に建設する予定があり、将来的に県庁も同地に移転する予定があったことなど。
だが県庁その他行政機能は浦和が手放さず据え置きになってしまった上に岩槻が入ったことで市の中央ではなくなってしまい、名前負けしているのが現状。何より伝統ある与野の名前が消えてしまっているのはいかんともしたがいところ。
しかも中央区役所すら新都心にない(あるのは与野本町駅付近)。何のための新都心なのか……
鉄道駅はさいたま新都心駅をはじめ北与野駅・与野本町駅・南与野駅が、高速道路は首都高速埼玉大宮線の与野JCTが区内にある。
区内の主な施設としては上記の通りさいたま新都心があるが、商業施設がある東側は大宮区に所属するため、中央区にあたるのは行政施設や「さいたまスーパーアリーナ」が所在する西側のみ。
また、与野本町駅付近には「彩の国さいたま芸術劇場」がある。
旧与野市の頃から領域が旧浦和・旧大宮に食い込むように存在しているため、「浦和」「大宮」と名がつく建物でも住所が中央区ということが間々ある。
与野の歴史
現在の与野本町駅西側に南北に延びる通りは「本町通り」と呼ばれ、古くはここに市が開かれ大いに栄えていた。その隆盛ぶりは後に合併する浦和と大宮を凌ぐほどと言われていた。現在でも町並みには当時の名残が見られる。
明治期には現在の中央区となる旧市域が「与野町」として誕生。東側に鉄道駅や国道が完成し、産業の中心はそちらに移るようになる。ちなみにこの時にできたのが与野駅だが、厳密には与野の土地にはない(現在の浦和区)。
昭和時代には市制施行し、末期に埼京線が開通すると、本町通り付近に「与野本町駅」が誕生。こちらが再び街の中心に返り咲いた。