二条院讃岐
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にじょういんのさぬき
二条院讃岐とは平安時代末期から鎌倉時代の歌人。源頼政の娘。
正確な生没年は不明だが永治元年(1141年)頃の生まれで、建保5年(1217年)以降に死去したという。
二条天皇の即位後に出仕、永万元年(1165年)に天皇が崩御した後に重頼と結婚したという。治承元年(1180年)に父・頼政、兄・仲綱、甥・宗綱、義兄弟の兼綱と仲家らが以仁王の乱に加担して討死し、平家滅亡後には宗綱の弟・有綱が源義経の与党として源頼朝に追討されたが連座しなかった。鎌倉時代になって後鳥羽天皇の中宮宜秋門院の女房となるなっているがその後の足取りは不明。
摂津源氏は源頼光以来、武家歌人の家柄で頼政や仲綱も歌人として知られた。讃岐もまた父兄と同じく歌の才に恵まれ百人一首にその名を残し、千載和歌集や新古今和歌集などにも歌が採録されている。
百人一首
わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし
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