概要
魔理沙が『東方心綺楼』に登場した際のものである。
『心綺楼』ではそれ以前から幻想郷に起きていた様々な変異・怪異や「 あらがえない天災の恐怖 」などから人間の里に「 厭世感 」が広がっていた。
厭世感はやがて刹那的な享楽主義に繋がり、人心は乱れた。
そんな状況にあってこれを人心掌握の好機と見た幻想郷の「 宗教家たち 」によって繰り広げられたのが「 人気 」を奪い合う「 魅力的な闘い 」であり、これが『心綺楼』の主なストーリーである。
一方宗教家たちが目論むような人心掌握という形に限らずにこの動乱に乗りかかるものもあり、魔理沙もまたその一人である。『心綺楼』において魔理沙は、宗教家たちに先んじて人気を集めるべく速やかに行動を開始する。
作中では魔理沙は人気を集め、「 褒められる 」ことの気持ちのよさも体験しつつ、あるいは逆境さえも楽しむメンタリティの強さもみせた。
一方で「化かす」という人心の機微に触れる存在にして近年幻想郷にやってた二ッ岩マミゾウとは『心綺楼』における人心の乱れ様についてお互いの人間観も交えつつ対話する一幕もあるなど、魔理沙もまた魔理沙なりに『心綺楼』における「 希望 」の姿の核心へと近づいてゆく。
そして「人間代表」の魔理沙は、その最後に件の黒幕との出会いを果たし、魔理沙が集めた「 希望 」による人間の感情のバランスの統合をかけて闘いを挑まれるのである。
「人間」代表
『心綺楼』ではその動乱に積極的に登場した事が語られる9名(と異変の中心となった1名)の内、「人間」として語られているのは魔理沙と博麗霊夢の2名である。一方で霊夢は「八百万の代弁者」として、博麗神社を背負う宗教家としてこの闘いに参加しており、『心綺楼』における立脚位置は宗教家としての立場によりシフトしている。
魔理沙は宗教家たちとは異なる価値観・観点から活動しており、魔理沙と霊夢は同じ人間としての参加者であっても特定の信仰体系に拘束されない広義な意味における「人間」としての魔理沙と「宗教家」という象徴で表現され得る目的をもった霊夢とは異なる。
加えて魔理沙は複数の作品に見られる二つ名である「普通の魔法使い」に代表されるような、「普通」という特定の属性に拘束されない一般的な人間の視点をもって語られるキャラクターでもあり、『心綺楼』においても広く一般的な視点の「人間」を代表する存在としても描かれている。
あるいは純粋な興味関心や好奇心、芯の強さを表現する魔理沙は種々の主義主張の先にある「人間」という共通属性そのものの姿でもあり、魔理沙は宗教家たちのような様々な事情や目的性で細かく分類される事のない母カテゴリーとしての「人間」そのものを「代表」しているのかもしれない。
「魔法」と「神秘」
『心綺楼』ではキャラクターの勝利に合わせて対応した文々。新聞が挿入される演出があるが、魔理沙と霊夢との勝負において魔理沙が勝利すると「 魔法は神秘を越えるのだ 」との見出しの新聞が登場する。
「魔法」は魔理沙、「神秘」は霊夢を指すもので、「魔法」は殆どの作品で魔理沙とともに語られる要素である。「神秘」という語は霊夢の場合『心綺楼』に続く『東方深秘録』において霊夢の二つ名である「神秘!結界の巫女」に登場しており、こちらもまた霊夢を象徴する語としても登場している。