概要
霊夢が『東方心綺楼』に登場した際にこの二つ名が見られる。
『心綺楼』においては当時蔓延していた人々の心の乱れとお祭り騒ぎの雰囲気を、自身の宗教・教義の勢力を拡張する好機ととらえた「 宗教家たち 」が「 人気 」を集めるべく奮闘するという展開がストーリーの一つの主たる道筋の一つであり、霊夢もまた博麗神社をさらに盛りたてるべく博麗神社の巫女さんとして一連の動きに積極的に参加した。
「八百万の代弁者」は霊夢が八百万の神々を現世に仲介する「巫女」である事も絡みながらも、人気を求めて参加した経緯には、それと同時に博麗神社を宣伝する意味もあるのかもしれない。こんなに素敵な博麗神社の巫女さんは数多の神様たちの声も皆様に伝えるのですよ、となれば、博麗神社の人気にも肯定的に影響することだろう。
一連の騒動に関して『東方茨歌仙』で描かれた『心綺楼』における経緯中と思しき博麗神社での聖白蓮との「 宗教戦争 」では人間や妖怪など多くのギャラリーがこれを見守り、その人気を二分している。
ただしその人気は必ずしも決闘観戦による熱狂という訳ではなく、河童などが暗躍するとあるヒモが付いた熱戦でもあったようである。
それでも「 ブーム 」が続く限りは、「八百万の代弁者」もまた各地あちこちでその魅力的な戦いを披露するのである。
「アニミズム」
霊夢における「八百万」は、別の機会で「アニミズム」としても表現されており、それは霊夢ストーリーにおける物部布都との決闘シーンのタイトルである「 風水対アニミズム 」に見る事が出来る。
アニミズムとは、様々な物事、あるいは存在には固有の霊的存在が宿っており、あらゆるものに霊的存在がある、という考え方である。霊的存在は霊魂、精霊、神などであることが多く、多神教的アプローチにも結ばれる視点である。
素朴な世界理解の視点の一つであるとともに、人類の伝統的な信仰体系の一つでもある。
アニミズム的立場では、例えば動植物をはじめ自然現象、概念などにあらゆる霊的存在が設定される。今日的には例えば今まさに読者諸氏がお使いの電子機器ないしは個別の読用媒体にも特有の霊的存在があると、アニミズム視点では捉えることだろう。
「八百万の神々」は森羅万象にその霊的存在(またはその繋がり)を見出すアプローチであり、「アニミズム」にも通じる。全ての現象が特定の一者に収斂せず、多様な現象ごとに多様な存在性を想定するのがアニミズムの特徴であり、具体的に設定され、生み出されたのが例えば「八百万の神々」なのである。
東方Projectにも登場する多種多様な存在は、その存在基盤(あるいは「元ネタ」というべき事物)をたどっていくとアニミズム的アプローチないしはその影響に行きあたるものもある。
霊夢は「代弁者」たる巫女として神々をその身に降ろす(例えば『東方儚月抄』、『茨歌仙』)ことでその力を借りたり言葉を伝えたりすることで、八百万の存在と現世の存在との間を結んでいる。
加えて霊夢は「祀る」ことで神を生み出すこともしている。
例えば『東方三月精』では博麗神社裏手のミズナラの大木を御神木として祀ることで、図らずも神を生み出す手続きを踏んでいた。ただしこのときは霊夢がすぐに「 飽きた 」ため、この神は育つ事が無かったようである。
なお神が消えてしまったこの大木は、霊夢に代わり八雲紫が別の意図で以て次の適切な管理者に手渡るまで管理することとなる。
霊夢はまさに巫女として「八百万」を人々に代弁し、時にはその世界を現世に表すことで双方の世界を結ぶ存在でもあるのである。
神降ろしと降霊
霊夢は様々な作品において巫女として実際に神々などの声を聞き、その声を伝えたりあるいはその力を行使したりしている。
例えば前述のように『儚月抄』や『茨歌仙』作中において八百万の神々の力を借りて巨大なロケットの推進力を得たり、新しい金属を生み出したりしている。さらにその際にはそれぞれの神々とも対話し、その言葉を語ってもいる他、時には弾幕にその力を応用する事もあるなど霊夢と神々とのあり方は実践的である。
『東方鈴奈庵』のエピソードの一つにおいては当時流行していた「こっくりさん」に対抗する形で霊夢が「 本物の降霊術 」を披露している。
実際にはそれを行った場所である鈴奈庵にたむろする神霊を「 適当に 」引っ張っただけのようであるが、霊夢の一連の演出によってその過程は高いカリスマ性を帯びたものとなり、それを見ていた本居小鈴に対して一般的な「こっくりさん」と巫女が行う本物の降霊術との圧倒的な格差を印象付けることに成功した。
神霊もまた八百万の存在であり、霊夢がその身を通して「代弁」する存在は幅広い。
霊夢以外で神格の力を借りたり受けたりした例としては、自らの神社の祭神である大和の神である八坂神奈子や八百万の神である洩矢諏訪子の力を借りた東風谷早苗や、八咫烏をその身に受けた霊烏路空などのケースがある。綿月依姫はまさに神を降ろす存在でもあり、霊夢と同様に様々な神々をその身に降ろしている。
この内早苗については早苗自身もまた巫女であり、さらに人間としての側面も持つなど霊夢との共通する要素が多い。一方で先述の『茨歌仙』ではその神降ろしを霊夢に依頼しており、同機会では広く「八百万」を代弁している様子は見られていないなどの違いもみられるものとなっている。
関連イラスト
ただし霊夢が代弁するのは「八百万」(ありとあらゆるものの例え)であるため、その意志には多様な物が含まれる。pixivに発表された作品においても、霊夢が「代弁」するものは多種多様である様子。