概要
徳川家康の家臣だったが、家康が「松平家康」を称していた頃に発生した三河一向一揆に父が参加したことで本多正信同様、松平家から出奔。のちに帰参し家康の嫡男・松平信康の直臣となるが信康事件でまたも出奔。その後、家康の伊賀越えに貢献したことで帰参を許された。
行政手腕に長けていて、平時は代官として領内の検地を、戦時には小荷駄を担当し後方支援に努めた。
家康の関東移封後は、武蔵足立郡小室(現在の埼玉県北足立郡伊奈町)1万石を与えられる一方で、新田開発や河川の改修などで関東各地の経済を発展させた。
長男・忠政は武勇にも秀で徳川二十八神将の一人に数えられているが34歳の若さで早世した。
次男・忠治は家督こそ継がなかったが関東郡代を称し父や兄にも劣らず治水事業などで功を建てた。
小室藩(伊奈本家)は忠政の長男・忠勝の死によって無嗣断絶となり、その後は次男・忠隆の家系が旗本として存続した。
余談
初期の信長の野望シリーズではかつては未登場であったが天翔記以降は常時登場している。
概ね政治系パラメータが高めで史実の行政官僚としての経歴をなぞっている。能力的には長束正家に似ているが内政以外の能力は正家以上に壊滅的である。