概要
江戸時代、幕府では征夷大将軍、各藩では大名の側近くに仕える役職で、実権がある場合と、ない場合がある。
任命される人物は旗本ということもあれば、譜代大名ということもあり、柳沢吉保、田沼意次のように旗本から大名に取り立てられた人物もいる。
将軍・大名が個人的に信頼する人物が選ばれる傾向にあり、田沼意次は後に老中就任している。
本来、幕府では老中や若年寄など幕閣の会議、各藩では家老や奉行の会議で決まったことを将軍・藩主に報告したり、将軍・藩主の意向を幕閣や家老に伝えることを職権とする。
これらのことから、将軍・大名の秘書といったところがもともとの職権ともいえるが、将軍・大名の意向を伝えるという職権もあることから「側用人」のなかには実権をもつ人物も現れるようになった。
これらの実権をもつ「側用人」として有名になったのが徳川綱吉に仕えた柳沢吉保、徳川家宣・家継父子に仕えた間部詮房、徳川家重・家治父子に田沼意次である。
変わり種は徳川家重に仕えた大岡忠光で、彼は実権を求めようとせずに言語障害のある徳川家重の通訳に徹したことで歴史に名を残した稀有な人物である。