三国志における劉曼
後漢王朝最後の皇帝、献帝(劉協)の娘であり、母は曹操の娘である曹節。
……という、家柄は凄く良い人物であるのだが……。
ぶっちゃけ全然歴史的に見ても重要な場面で出てくる女性ではない。
はっきり言って、某松下村塾で有名な先生の妹くらい知名度は低い。
その証拠に、歴史的な史書の記述も、『三国志』「文帝紀」に引かれた注、王沈『魏書』で、西暦223年12月12日、曹操の息子である曹丕に帝位を禅譲して山陽公となっていた献帝に対し、その夫人と、長楽郡公主に封じた娘の劉曼に対し、化粧料として五百石の領地をそれぞれ与えるという記述が載っているだけで、それ以外の歴史的記述は無い。
ただし、三国時代で実名の判明している女性は非常に少ないので、その点で貴重な一人といえる。
ちなみに、長楽郡公主という称号は、化粧料として拝領した土地の名前を取ったものであり、長楽郡は現在の中国河北省にあたる冀州にあった。
他に長楽郡公主に封ぜられた人物としては、唐の太宗(李世民)と長孫皇后との娘である李麗質などが知られる。
また、少なくとも2人の異母姉妹(恐らく姉)がいて、2人は山陽公となった劉協から、曹丕に嬪(側室の位の一つ)として差し出されている。
曹丕は堯・舜の伝説的な禅譲を模倣していた。その演出の一つとして、堯が舜に娘を二人を嫁がせ、そののちに禅譲したのに合わせて、劉協の娘を二人、自分に嫁がせたのである。
直接の血のつながりは無いとはいえ、曹丕は自分の妹が嫁いだ先の夫の娘を側室に、つまり義理の伯父と姪が結婚したことになる。当然、当時の倫理観としてもタブーであったが、曹丕は特に気にした様子は無い。
伯父を見る劉曼の心中は、いかばかりであったろうか。
ゲーム作品などにおける劉曼
では、歴史的記述が一行で終わるようなドマイナーな彼女が、なんで日本で名前が知られるようになったかというと、SEGAの名作カードゲームである三国志大戦Ver3.59で登場したからだ。
曲がりなりにも皇帝の娘ということがプラスになったのか、グラはメイン画像イラストを見れば分かるように、結構可愛い感じであり、これに相まって使い手は結構いた模様である。
カード性能としては、両軍の最大士気を6上げる希望の舞いを使いこなすことが出来るのだが、使い方によっては希望にも絶望の舞いにもなるので、ご利用は計画的にしないと後悔することも有り得る。
ちなみに、2015年の三国志大戦TCG全国大会”覇業への道”東京エリア予選で頒布された超攻略同人誌「超天下無双 Vol.5」の表紙に、下記イラストの劉曼が載っていた。
これはこれで美麗な姿である。
ただ、このイラストと実際の同人誌表紙とで細部に関しては色々異なる部分もあるらしいので、持っている人は見比べてみてもいいかもしれない。
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