概要
愛の貧乏脱出大作戦の企画において中華料理の達人でもある孫関義の下で修行していた料理人。
料理人ではあるが、当初その腕は素人同然で、自作のラーメンは数日前のスープを何日も使い回し、灰汁を旨味と主張し、スープの周りには灰汁が出っ放しになる程の出来の悪さ。更に光熱費を節約するためにガスは使わず、風呂も焚き木で済ます程で、挙げ句の果てには夏場は風呂にも入らず、衛生面においても目に余る体たらくぶりだった。
その為、店は繁盛するはずもなく1日に僅か3千円程しか儲からず、毎月1万円の赤字が出る程の貧乏状態だった。
番組中の行動
その後、上記の孫関義の店の下で修行することになったが、その間にも同じ修行仲間と"腕と味とキャリアの違い"を理由に対立し、次第に孤立していった。肝心のスープ作りの方は最初は上手く出来たが、上手く出来たことからの慢心からか周囲にマウントを取るようになり、試験の際のスープ作りに失敗。にもかかわらず、そのスープでラーメンを作った結果、周りは灰汁だらけのラーメンになり、それを完成作として平然と達人に出してしまう。無論、このラーメンに孫は納得行くはずがなく、「客に灰汁を飲ませるようなもんだぞ!」「もしお前が俺の弟子だったらぶん殴ってるぞ!!」と大激怒。結局彼はそのまま破門になってしまう。その後、「本当はもう帰りたかった」「一時撤退する」と告げ、同じく破門になった修行仲間の静止を振り切り、そのままリタイアした。
だが、それから半年も経たないうちに自身のラーメンを『達人直伝の味』と言う旨の紹介文を含んだチラシを番組や達人の孫に無断で作成し、店内に掲示したり外部に配布したりしていたことが、別番組のロケで函館に訪れた際に問題のチラシを受け取ったスタジオゲストの高橋英樹や、視聴者のタレコミで判明する。その際番組スタッフが事実を確認する為、彼の店にお忍びで訪れたところ、当の南本人は「あんなもん習わなくたって分かるもん。何が達人のラーメンだよ偉そうに。だから反抗して帰ってやったんだ」と師でもある孫を冒涜する発言もしていた。更に出来上がったラーメンも修行以前と全く変わらないもので、孫が作ったラーメンとはほど遠いものだった。
この一件を知らされた番組MCのみのもんたは直接彼の店を訪れ、「あなた合格してないじゃないか、いきなりこう言う物を送られて見せられてどういう気持ちになる、どういうことだ!!」と厳しく追及された。更に孫からも「あなたは料理人として最低な事をしたね」と幻滅されてしまう。その後、視聴者からの叱責や、同じ「みなみ」という店名の飲食店から風評被害を受けたという抗議の手紙がきたことから、考えを改めた南は孫に無期限での修業を申し出るが、孫は彼の身勝手な行動と、チラシを無断で作成したことを許すことが出来ず拒否する。だが、その姿を見たみのは直々に孫の元に出向き、彼との交渉の末、特別に修行を許可された。修行当初はボール洗いを担当しており、ひたすら前向きに取り組む姿勢が見られた。また、その際南は「合格するまで帰らない」と発言し、以前よりも強い意志を固めた状態で参加していた。
しかし、1ヶ月程が経ち、皿洗いへステップアップした頃にはやる気が失せ始め、自分よりも一回り年下の人間からあれこれ命令されることに嫌気が差し始め、次第に修行をサボりがちになる。そして、修行開始43日目にリタイアを宣言。その際、駆けつけたスタッフからもう一度考え直すよう説得を受けるものの「肉体的にも精神的にもこれ以上続けることが出来ない」と断言。それに対してスタッフ側は「最初にあなたが言った”合格するまで帰らない"という言葉は嘘だったんですか?」と指摘するが、当の本人は「やむを得ない」の一点張りで、遂にスタッフから「合格はもうどうでもいいんですね」と最後通告を突きつけられても「もういいです」と返した事からリタイアが決定、そのまま函館へ帰郷。なお、帰り際の際に南は「リタイアは本当はいけない事なんですけどこれはしょうがないんです。みなさんは真似しないでください」と世間に忠告するが、スタッフ側に「しません!だれも!」と半ば見放し同然に突き返され、そのままその場を去って行った。その後テレビ東京は、再修業のチャンスも棒に振った彼をこれ以上信用出来ないと判断し、企画の打ち切りが決定した。
その姿を見たみのも、南に対して「勝手にしろよ!根性なし!」と失望し、遂には「もう二度と、我々が彼の店を訪れることは無い」と番組後半で公言し、遂に番組との縁を切った。
その後南はテレビ東京へ出向き、みのに対し今までの無礼をお詫びしたいと申し出たが、その際みのの代わりに番組プロデューサーがみののマネージャーと連絡したが、既にみのは彼を見限っており申し出を断った。そして、帰り際の際に南は「あれから家族や周りの人々から軽蔑され、遠くから冷やかしにくるまで散々な目に合った」と苦悩を抱えていたが、それに対して同行ディレクターからは「それは自分がそれだけの事をしてきたんだから仕方がないよ。ましてや今更謝った所で許されると思っているの?」と咎められてしまう。
その後の取材で南はラーメン屋から中華料理店に変え、内装も中華風に変えるなど試行錯誤したが、状況は変わらなかった。
その後、レギュラー放送終了後の2003年1月1日のスペシャルにも出演し、以前の修業先とは別の店舗の『ラーメンてつや』で4人同時修業に参加。その際にみのと約1年振りに再会するが、みのは彼に対して不信感を抱いており、面接の際にも「今更何しに来たんだ!!散々僕や番組に迷惑を掛けてよくのこのこと姿を現せたな!」と罵倒され、更には「ハッキリ言って今の君に何を言われても信用できないし協力できないよ!悪いけど今回は諦めて欲しい」と棄権を勧告されるが当の南は今までの無礼やワンマン行為を心底反省しており、もう逃げ出さないと宣言したことから修行参加を許可された。しかし、結局そこでも店主から上記の一連の問題行為に加え杜撰な経営態度が問題視され最終的に「店を建て直せる見込みが見えない」と判断され失格になった。
なお、残りの参加者は辛うじて合格となったが、その後の景気悪化や物価高騰等の経営難を受けた事からどの参加者の店も間も無く閉店となり、唯一の失格者である南だけが店を続ける事が出来た。
その後
それから7年間の間は音沙汰が無かったが、2010年10月のスペシャルにて、番組での度重なる失格や、白血病との闘病生活を踏まえて、南が自分なりに経営方針や味を見直した結果、函館に訪れるロシア人が常連的に来店するなど、経営状態は多少良くなり、今までの態度も、以前は嫌っていた子供達にアイスクリームを振舞うなど、若干軟化した様子が取り上げられた。更には「将来はロシアに行ってみたい」と、ロシア語を勉強する姿も映された。
その後、2020年のテレビ東京で放送された番組「浦和から持ってきて!」にて当番組が紹介され、その中でみなみに電話取材を行ったところ、体力の限界に加え、長年介護していた父の死で精神的に追い詰められたことや、白血病の再発、パーキンソン病の発症により2019年に廃業していたことが判明した。
現在は隠居し、度々雑誌やYouTubeの取材にも協力しており、自身の半生を振り返りながらテレビでは明かせなかったことなどを伝えている。
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よゐこ、河西智美、三中元克…南同様に番組の企画を途中で放棄・脱走・リタイアした人物達。よゐこは電波少年で行われた「1Wayチケット」という企画において濱口優が途中でリタイアを宣言し、スタッフや相方、芸人仲間から説教を受け、河西は黄金伝説の一ヶ月一万円生活を「監視され続けるのが苦痛」という理由で放棄してそのままリタイアとなり、三中はめちゃイケで行われたプロレス挑戦企画を2度の脱走で打ち切りに追いやったばかりでなく、番組側に無断でプロ芸人に転向しようとした事が問題となり、翌年に番組を降板させられた(しかし後者は番組側のやらせと不適切な対応が明かされ、擁護する者が増えている)。