生涯
のちの四国統一を果たした長宗我部元親(長曾我部元親)の甥。元親の弟である吉良親貞の嫡男。
若くして武功を多くとり、元親の娘(従姉妹)をめとるほどの評価だが気性が荒かったらしい。
久武親直という同僚とは何かと折り合いが悪くのちの切腹処分も久武の陰謀と言われるほど。
元親の長男でいとこの信親が戦死すると跡継ぎ問題で元親次男・親和を推し、
四男・長宗我部盛親を推した久武とまたも対立関係となってしまう。
これに親実は長幼の順で選ぶことを元親に進言したが逆鱗に触れてしまい切腹処分となった。
親実死後、領地は妻に与えられたという。享年・28歳。子孫は肥後藩士となったとされている。
親実の怨念今も消えず
親実は四国で有名な妖怪・七人ミサキの元とされている。見ただけで殺されるほどの怨念。
また、同じ件で切腹したもう一人も別の七人ミサキになったという
(近年では、同じ日に切腹処分されたわけではなく別々の日だったことが判明している)
これ以外にも久武の家族や本人に祟りが起こったり、墓から怪火が出る、武者行列をなして現れる、
また、親実を知る人物に対して「久しぶり」とその人に言ったともいう。
これを恐れた元親は木塚に親実らの霊を祭った・・・木塚大明神こと吉良神社である。
四国で起きる交通事故も親実の祟りと言われている。