1969年1月5日生まれ、大阪出身。
武豊・蛯名正義などの同期で1987年デビュー、この年33勝し武豊に次ぐ勝利数を挙げ若手のホープと期待されていた。
1989年阪神牝馬特別をルイジアナピットで制し重賞初勝利。
1993年小林捻厩舎から離れフリーに転身した事で騎乗数が激減、ガラガラの調教スタンドで呆然としている事が多くなる。
しかし定年も近い布施正調教師が声をかけ、殆ど実績のない若手騎手にネーハイシーザー(定年前で最後になるかもしれない期待馬)を任せる(騎乗依頼)という恩情を受けた事で、非常に発奮した。
1993年~1994年ネーハイシーザーとのコンビで、重賞4勝し秋の天皇賞(GI)制覇という最高のプレゼントで恩返しを果たした。
塩村騎手自身も、「お先真っ暗で地獄のどん底で沈んでいた自分に、光を与えてくれた奇跡のような馬と人(調教師)でした」と後年に語っている。
2002年、騎手引退。
以後は田中章博厩舎で調教助手をしていたが、2016年厩舎解散で音無厩舎に移籍している。