概要
1958年、三森栄一が池袋にオープンした定食屋「大戸屋食堂」として創業。当初は海苔の佃煮のボトルキープができて、白飯だけのオーダーでもOK、「全品50円均一」と破格の安さで主に学生を中心に人気を博した。
1983年に株式会社として立ち上げ、一度社屋が全焼するなどのトラブルに見舞われるも92年に全面改装。
女性が気軽に入れる新しい定食店のスタイルを確立する。
主に定食メニューが中心で、日本の家庭料理風のものが多い。
長年の看板メニューはスライスキャベツ、サニーレタス、トマト、ブロッコリーといった生野菜にコロッケ、鶏もも肉の竜田揚げ、中央に目玉焼きを乗せた「特選大戸屋ランチ」やチキンカツのみぞれ煮に大根おろし・なめ茸・水菜をかけた「チキンかあさん煮定食」がある。
お家騒動
2014年、創業者三森栄一の養子で会長の三森久実が末期の肺がんにかかり、余命一か月と宣告される。
久実には大戸屋の持ち株をはじめとした莫大な遺産が残されており、それをすべて遺族に相続させた場合は巨額の相続税がかかってしまう。そこで久実は相続税対策として会社から「功労金」を支払わせることとし、これで相続税を払おうとしていた。
これで相続税問題を解決した久実は、後継者に自身の息子、三森智仁を指名し、2015年にこの世を去った。
しかし智仁は当時26歳と社長を務めるにしては若すぎ、さらには社会人経験4年、内大戸屋での経験2年と実力不足だったため混乱や社員からの反発が予測された。
代表取締役の窪田健一のもとへ葬儀のお礼に行った際、社長の引継ぎを行おうとした矢先、修行の意味も込めて香港への赴任を命令された。
しかし智仁はこれに納得しておらず、さらに久実の妻・三森三枝子が動き出す。
死んだ夫の意思を無視し、息子を遠ざけようとしていると感じた三枝子氏は、社長室に会社の裏口から位牌と遺骨を持ち込んで突撃し、窪田社長に向かい30分にもわたり次のように述べた。
- 「あなたは大戸屋の社長として不適格。相応しくないので智仁に社長をやらせる」
- 「あなたは会社にも残らせない」
- 「夫が亡くなって四十九日の間もお線香を上げに来なかった」
- 「何故、智仁が香港に行くのか」
- 「私に相談もなく勝手に決めた」
- 「智仁は香港に行かせません」
これが後に大戸屋で語られる「お骨事件」である。
さらにここで、大戸屋のメインバンクである「三菱UFJ信託銀行」からやってきた相談役の河合直忠が絡んでくる。
河合氏は先の功労金支払いを進めようとした際に、「功労金よりも赤字事業の整理を優先するべき」として難色を示し、怒った久実によって取締役から解任され、相談役となっていた。
河合氏はこのころから大戸屋の経営陣と頻繁に会うようになった。河合氏は窪田社長や現経営陣と接触し、「赤字が続くようなら金を貸すのをやめる」と功労金支払いをやめるように打診していた。
結果として功労金支払いをストップし、支払いを決定するかどうか決める株主総会も延期になってしまった。株を相続した三枝子・智仁親子は相続していた株を担保として金を借り、相続税を支払うこととなった。
これが原因となり、創業者である三森一族と現経営陣は直接会話ができないほど関係が悪化してしまったが、何度も面談を繰り返し「智仁を二年後までに社長にする。(当時智仁は会社を辞めていたため、復帰させて社長にする)」「功労金を1年後までに用意する」「河合を取締役に復帰させる」などの条件を出すことで双方合意が行われた、かに思われていたが一か月後、創業者一族側から合意で決められた
「智仁の社長就任」と「功労金支払い」が確約されているわけではないことを理由に破棄されてしまった。
かくして泥沼状態となったお家騒動は、第三者委員会を設立することによって解決へと進められ、ここで初めて長年の確執やお骨事件が世間にさらされることになった。
結果、2017年に創業者一族に2億円の功労金支払いが決定した。
これで解決かと思われたが2019年、創業者一族は持ち株をすべて大手外食チェーン企業「コロワイドグループ」へ売却。筆頭株主となったコロワイドは大戸屋を去った智仁を社外取締役にするよう提案。さらなる発言権を求めコロワイドは大戸屋の子会社化を図るなど、お家騒動は解決には及ばなかった。
コロワイドは大戸屋側の反発をはねのけて2020年9月に敵対的TOBを成立させ、株式の保有割合を47%にまで引き上げた。
そして10月1日の臨時株主総会で三枝子・智仁親子から全株式を取得。大戸屋の経営陣を刷新したことで、コロワイドと大戸屋の経営権争いに終止符が打たれた。同時に三枝子・智仁親子をはじめとした創業者一族は会社を追われることとなった。