大森貝塚の発掘は日本における最初の本格的考古学調査となった。
アメリカ合衆国の動物学者エドワード・シルヴェスター・モースとオーストリア・ハンガリー帝国の外交官ハインリヒ・フォン・シーボルト(フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの次男)が第一発見者の功を争ったが、シーボルトは外交官の仕事が忙しくフェードアウトしたため、一般にモースが発見者とされている。
モースの発掘ポイントには品川区大井六丁目説と大田区山王一丁目説があったが(300mほど離れている)、現在は品川区説が有力である。ただし、貝塚発見の報告文書に所在地が大森村と記述されていたため現在も「大森」貝塚と呼ばれている。
縄文時代後期から末期にかけて形成された貝塚で、イギリスのヘンリー・フォールズは大森貝塚から出土した土器に付着した指紋が現代人のものと変わらない事に感銘を受け、指紋の研究を始めた。