「天空要塞アーロック」とは、イギリスの出版社「ペンギン・ブックス」から出版されていたゲームブック「ファイティングファンタジー」シリーズの第33弾「SKY LORDS」の日本語版タイトルである。出版社は社会思想社。
作品解説
主人公=君は、ジャン・ミストラル。
惑星エンスリナを故郷とする人間で、太陽騎士団の精鋭、第16宇宙紀からやってきた、四本腕のヒューマノイド戦士にして、特別捜査官「宇宙貴族」。
エンスリナは、無数の世界の中の一つの世界。ヴァークス王がこの惑星を治めているが、彼は今、「ル・バスティン」に狙われていた。
ル・バスティンは優れた技能を持つ重鎮の一人で、エンスリナのために働いていた。ある日、人工頭脳と遺伝子工学を修めた彼は、その研究資金と設備の為に給金の増額を申し出るが、ヴァ―クスはこれを一蹴した。
この星の経済がうまくいったことは、ヴァ―クスが王座に就いてから、一度としてなかった。
金を惜しんでいる王に激怒したル・バスティンは、自身の地位を利用して廷臣たちを解雇。自分が作り出した身代わりのコピー人造人間を送り込み、彼らの給料を横取りするように。それがうまくいくと、宮殿の使用人たち全員を入れ替え、彼らの給料全てをわがものとした。
しばらくの間はル・バスティンは遺伝子工学を用いた怪物を作る実験を繰り返していたが、いつしか彼は「完璧な生命形態」を創造する事を思い付き、これを実行する事に。
その金は、王家の宮殿内の美術品を売り飛ばす事で作り出された。が、ある日に身代わりの人造人間を含め、全てがばれてしまった。
王は彼を解雇。ル・バスティンはエンスリナを追放されることになったが、その直前に王妃の顔におそろしい冗談の美容整形を行っていた(鼻を十インチ伸ばし、両目を小皿ほどの大きさに巨大化させて、片方を緑、片方を赤色に。頭部にはパイナップルを移植)。
ル・バスティンはその後、姿をくらますが、銀河周縁部の人工要塞惑星アーロックに潜んでいる事が明らかに。
そこは、犯罪者やミュータントや怪物たちの住処になっているという。そして犬の頭部をもつヒューマノイド人工生命体「ブリュフェクタス」を量産、軍団を結成し銀河系に解き放つ予定だと言う。
エンスリナとヴァ―クス王には、残忍な処置を行う予定だと。
アーロックには武装と防御装置が満載で、攻略不可能な宇宙要塞。しかし、個人の宇宙船ならなんとか探知されずに着陸できる。そして防衛中枢コンピューターを破壊すれば、アーロックは攻略が可能になる。
これが出来るのは、君=ジャン・ミストラルしかいない。かくして君は、宇宙船「星霧号」で出発した。
シリーズ33弾。そして、最後の邦訳作品である。
SF作品であるが、はっきり言って「駄作」である。
本作は、「マッドサイエンティストの潜む要塞の防衛コンピューターを破壊する」という内容ではあるが、あまりにも無駄が多く、情報量も長く、その割に理解しづらい。
既存の作品では、「背景」で、どういう世界観か、どういう状況か、そしてどういった事を成すべきかを説明するものだが、それらは読者に配慮し、できるだけ理解しやすくする事で、作品世界に入り込みやすくしている。
しかし本作は、そのあたりを全く考慮していない。ルール説明の時に、冒頭に四ページ弱、背景での状況説明に七ページ、合計十ページ以上を費やしているのだ。
「モンスター誕生」のような、作り込んだ作品、そして面白い作品ならば、背景が長くとも小説として、読み物として、なおかつ提示された情報として読む事はできる。
しかし本作は、冗長なだけで、魅力的な世界観を構築できていない。それっぽい単語や造語が羅列するのみで、読者への説明不足が多く、何がどうなっているのかを説明できていないのだ。著者はどうにも、だらだらと自己満足のような設定を垂れ流しているのみで、世界観を構築できたと思い込んでいる節が感じられる。
これは本編中も同じで、聞いたことのない単語やら、それっぽい固有名詞やら、設定やらをいきなり提示するので、何が何やらと、理解に苦労する。
たとえば、上述した「太陽騎士団」「第16宇宙紀」「特別捜査官『宇宙貴族』」。
これらの単語がいきなり出てきて、説明が無いままストーリーが先に進む。しかもこれがしょっちゅう行われている。これで、内容を理解できる読者がいるだろうか?
(ついでに言うと、説明されている設定も、当時からして古臭く、ありきたりなものばかりである)。
内容も同様。「マッドサイエンティストが、仕えた王家に逆恨みする」という内容は、ベタ過ぎて目新しさも無い。それでもストーリー自体が面白かったり工夫を凝らしていれば、まだいいが、それもない。
むしろストーリーの展開そのものや、読者=主人公キャラの扱いが、雑かついい加減なため、プレイしていくうちにうんざりしてくる。
たとえば、ある人物に薬の入った大きな容器を二つ、勧められるシーン。
どちらかを選ぶかという選択肢が出るが、実はそのどちらも足の疲れを取る薬で、飲んだら毒になる。なのにどちらの選択肢を選んでも、主人公は飲むという行動を取ってしまい、体力を低下させてしまう。
このような感じで、主人公の行動を、無理やりストーリーに合わせてしまっているため、「主人公は莫迦な行動をとる無能なキャラクター」としか思えなくなっているのだ。
この必然性のない莫迦行動は、他にもある。
たとえば、ある宇宙ステーション内に入り込んだ時。そこは何でも食べるオレンジ色の球体をした生物がはびこり、職員も襲われていた……という状況下にて。
主人公は、球体を倒す効果があるとおぼしき品物を集めつつ、なんとか逃げる……という事を行うが、
「怪物に追われている最中なのに、入った部屋でいきなりビリヤードを始める」
「農園に逃げ込むが、そこのイチゴまたは果物を確かめもせずいきなり食べ、農薬などで食あたりになる」
といった事をさせられるのだ。
そして、無事脱出できたとしても。クリアに必要なアイテムや情報などは、何一つ得られない。内容に関係のない無駄な行為をさせられただけである。
展開そのものも、アーロックに付くまでがだらだらと長く、イベントを解決したところで、本筋とは全く関係が無い、無駄なものばかり。
上記の宇宙ステーションでの球体から逃げるイベントも、うまく逃げたとしても、この事は本筋とは全く関係がない。こんなイベントをさせるくらいなら、アーロックに早く向かわせろと言いたくなる無駄行為である(というか、アーロックに到着するまでのイベントは、ほぼ全てがアーロックの件とは無関係)。
ネタバレになるが、ついでに言うと。
既にアーロックのコンピューターの全機能は、別の場所に移されており、主人公が潜入してくるだろう事も、最初から見抜かれていた。つまりは、今までのアーロックまでの旅路は全くの無駄だったのだ(そして主人公は、言われるまでその事に全く気付けなかった)
ル・バスティンの協力で、ブリュフェクタスのクローン製造の次期ロットに細工(材料の塩分を過剰にする)する事で、事態は解決するが。つまり主人公は、ヒーローでありながら事態を独力で見抜く事も、解決する事も出来ない、無能な人物と描かれているのだ。
劇中で、この事を見抜けるような作りにしているならまだしも、本作は徹頭徹尾、主人公はこういった間抜けな行動を強制的に取らされ続け、最後までこれは変わらない。ただ誰かに言われた事に従っているのみである。どういう理屈でこんな作りにしたのか、理解に苦しむ。
さらに加えて、ゲームバランスを、まったく考慮していない。
主人公は宇宙船「星霧号」で宇宙を進み、アーロックまで赴くが、その破損の回復は劇中では行われない。
それどころか、主人公の体力も劇中で回復するシーンやシチュエーションはない。減った体力を回復させられるのは、最初に持っている食料を用いるのみで、体力は下らない事で減っていくのみである。テストプレイ自体、行っていないようにも思える。
そして、無駄設定もひどい。
たとえば、読者の分身たる主人公は四本腕のヒューマノイドで、レーザー剣にピストル、電撃槍に棘付きの丸盾をそれぞれの腕に持ち戦うという設定がなされている。
が、四本腕を活かした戦いやシチュエーションが、ほとんど全く出てこない。普通の二本腕の人間で十分事足りるのに、なぜわざわざ四本腕にしたのか、その必然性が皆無なのだ。
ついでに言うと、四種の武器を有しているのに、それを使い分ける事もしない。今までのSF作品で行われていた「射撃戦と、格闘・接近戦との区別」という事も行ってないし、そもそも主人公が有している武器はどういうものなのか、その説明もしていない(レーザー剣はライトセーバーのようなものらしいが、ピストルは光線銃なのか実体の弾丸を発射するのか、電撃槍や棘付き丸盾どういうものなのか、作者が説明するのを忘れているようにも思える)。
これに加えて、著者が劇中のあちこちで、ユーモアのつもりで入れているだろうギャグっぽいシチュエーションや言い回しなども、滑りまくり、笑いを通り越して腹立たしさしか感じられない。
(例:金属筒の中に入れられていた、金属も肉も何でも食べる芋虫。「ああ、チタニウムがたべたいよう!」というその芋虫に、捕らわれの主人公はそいつにチタニウム製の手錠を食べさせ脱出しようとするが、運試し次第で件の芋虫は「いらないよ。ママに知らない人からものをもらっちゃいけないって言われてるもん。それに、もうお腹はすいてないからね」)
ひょっとしたら、カートゥーンのようなドタバタしたものを想定していたのかもしれないが、だとしてもまったく魅力は伝わってこない。
クリアしたところで、苦行を終わらせたとしか思えず、こんな駄作にかけた時間を返せと言いたくなってくる。いわゆるクソゲーを長時間プレイし、クリアしてもなにも得られなかった。そんな感覚に近い。
海外においても、ファイティングファンタジーのSF作品は、本作が最後で以後は出ていないとのこと。
この作品の底辺とも言える最低の完成度を体験すれば、それも止むなしと言える。
作者のマーティン・アレンは、これ以前にアンドリュー・チャップマンとともに「王子の対決」を共著で手掛けているが、以後は作品を手掛けていない様子。このような駄作しか作れないなら、それも当然と言えるが。
(ちなみに、アンドリュー・チャップマンとは、3作ほど共著している。が、90年代初頭に同じく共著で「Deathlord(未公開・未邦訳作品)」を執筆したが、アンドリュー・チャップマンはこれを何らかの理由で「公開・出版するつもりはない」との事。「アーロック」が出版されたのが88年のため、その後で何かあったものと思われるが、マーティン・アレンのこの作品レベルの低さを考えると、推して知るべしである)。
また、昨今古書でゲームブックを求める際。本作もファイティングファンタジーの一作であるため、値打ちが付く事が多い。そして高額を支払い購入する向きも見られるが、よほどの好事家か、お金を無駄にしたい人以外にはお勧めできない一作と忠告しておく。