生涯
生涯
1838年に富山県の下級武士の家庭に生まれ1858年に奉公人として江戸へ出た後、25歳の時に独立し乾物と両替を商う安田商店を日本橋に開業した。
最期
最期
1921年(大正10年)9月28日、安田善次郎は神奈川県の別邸に滞在していた所を右翼活動家の朝日平吾に刺殺された。
朝日は犯行後に自殺したが、遺書の文面には
「奸富安田善次郎巨富ヲ作スト雖モ富豪ノ責任ヲ果サズ。国家社会ヲ無視シ、貪欲卑吝ニシテ民衆ノ怨府タルヤ久シ、予其ノ頑迷ヲ愍ミ仏心慈言ヲ以テ訓フルト雖モ改悟セズ。由テ天誅ヲ加ヘ世ノ警メト為ス(現代語訳:安田善次郎は巨万の富を築いたが富豪としての責任を果たすこと無く国家社会を無視し、貪欲にして卑しくケチで長らく民衆の恨みを集めている。私はその頑なさを哀れみ、仏心と慈しみの言葉で説得しようとしたが悔い改めなかったので自分が天誅を加えて世の戒めとする。)」
と記されていた。
折しも当時の日本経済は第一次世界大戦での大戦景気終了後の不況の只中にあった。
また、朝日は職を転々としながら行く先々で人間関係の衝突を起こす日々を送り、社会への不満を募らせていく中で資産家が富を独占して庶民を苦しめているという考えを抱いた事で犯行に及んだと言われている。