概要
夫婦漫才の第一人者。コンビ結成直後の1976年4月に結婚。
長女の紗弓(さゆみ)も両親に弟子入り、横山やすしの次女・木村ひかりと漫才コンビ『さゆみ・ひかり』を組んでいる。
宮川 大助(みやがわ だいすけ)
漫才ではネタ作りおよびツッコミを担当。
1949年10月3日生まれ、鳥取県西伯郡余子村大字竹内(現:境港市竹内町)生まれ。
高校卒業後、三菱電機勤務ののち、松竹芸能の養成所を経て、1972年、浪曲漫才「宮川左近ショー」のリーダーだった4代目宮川左近に入門。
同門の宮川小助(のちの宮川青丸、こちらも宮川とん子と夫婦漫才をしている)とコンビ「大助・小助」を組んだが、3年で解散。
芸人を一時廃業し、スーパーマーケットの警備員となった1年後に花子と出会う。
宮川大輔(右側の人物)とは吉本の後輩で同姓異字の後輩だが、芸名として許可を出している。
2007年2月5日には、大助が軽度の脳出血により入院し、同年5月24日まで加療のため休業した。
宮川 花子(みやがわ はなこ)
漫才ではボケを担当。
高校卒業後、大阪府警察に入庁。城東警察署で交通巡視員(交通整理などを行う警察職員。現在では警察官に統合した地域もある。)を担当し、違反検挙率トップを誇ったという。
この間『素人名人会』(MBSテレビ)に出演し、落語『相撲場風景』を演じてトップ賞相当の「名人賞」を受賞。
1974年に退職した後、中学の同級生だった芸人・吉田ハッチ(のちの中田八作)の紹介でハッチの師であったチャンバラトリオに入門。しかし1年半ほどで芸人を一時廃業し、万引き取り締まり保安員として警備会社に就職。そこで職場の先輩として大助と知り合う。
2019年12月11日、多発性骨髄腫で闘病中であることを公表。
一方で娘のさゆみ、弟子のたま子と共に「宮川家の女達」を結成し活動もしている。