ここでは主に、上記を元にした戦艦少女の登場キャラクターに関して記述する。
概要
19世紀末期の中華の王朝清時代には欧米諸国も一目置くほどの近代海軍を保有していたが、日清戦争での敗北から辛亥革命による帝政廃絶に至る混乱の中で、技術力も建造・維持に必要とする経済力も失っており、1920年代中頃には清時代の旧型艦が数えるほど、それを埋める為にアメリカから譲り受けた補助艦艇に大砲を載せて巡洋艦とする(大同級)、という状況だった。
中華民国は清時代の造船所である上海江南造船廠で近代的軍艦として軽巡洋艦 逸仙を建造したものの、失われた技術力の下では日本の駆逐艦と同程度のサイズの、それも20ノットも出ない、シルエット以外はまったく前近代的な性能の艦でしかなく、当時のジェーン海軍年鑑では砲艦に分類されてしまうという有様だった。
そこで外交関係が悪化していたが、「地理的に近く、技術的に一流で、価格は控えめに」建造してくれる国ということで日本に1隻の小型巡洋艦を発注した。
一方日本は海軍軍縮条約下で巡洋艦の新規建造が制約されており、さらに軽巡洋艦の枠を実質的な重巡洋艦に使ってしまったため、1920年代に建造した5,500トン級軽巡を使い続ける他なかったのだが、英米の軽巡洋艦が洗練されていくのを見て、有事に備えて時流に沿った軽巡洋艦建造技術の維持を必要としていた。
この両者の利害が一致し、寧海は1931年2月に播磨造船所にて起工された。建造中も日中関係は悪化しており日本が引き渡しを拒否する可能性も危惧されたが、1932年7月に竣工し中華民国に引き渡された。
2番艦の平海は寧海の図面をもとに江南造船廠で建造された。1931年6月に起工されたが、日本の設計に合わせた素材や技術者の確保もままならず、進水は1933年、竣工は1936年にずれ込んだ。
しかしこの間に盧溝橋事件が発生し、やっと揃った2隻が最初に戦う相手になったのは日本海軍ということになった。
そもそも中華民国海軍が欧米列強に肩を並べて10隻の戦艦を始め200を超える軍艦・艦艇を保有する日本海軍に抗せるはずもなく、奮戦虚しく揚子江河口を遡上して逃げ込んでいたが空母搭載機による攻撃を受け大破着底、そのまま侵攻してきた日本に鹵獲された。
- ちなみに、↓こういうことです。
その後、浮揚され日本に開港されたが、当初用途もないと思ったのか、佐世保でほったらかしにされていた。
しかし、1943年に入って米潜水艦による南方航路の損害が増え始めたため、二線級の艦艇をかき集めて泥縄式に海上護衛を始める。本級も改装されて当初海防艦として日本海軍籍に編入された。さらに戦局の悪化に伴い海上護衛の見直しがなされる中、二等巡洋艦(軽巡洋艦)への再分類が検討されたが、寧海は実現前に米軍の攻撃により戦没した。二等巡洋艦となった平海も、その2ヶ月後に戦没している。
戦艦少女Rのキャラクターとして
pixivユーザーでもあるsaru氏によるガチなロリっ子として描かれている。同氏は他には基本的に駆逐艦を担当している。
(まぁ、諸々の事情で駆逐艦描きに描かれた戦艦ってな例もあるが)
造船所の違いで寧海と平海の衣装に差異が出ている。あと胸部装甲。
寧海
寧海級の平がつかない平らな方。
日本生まれであるため、衣装は和服とチャイナを折衷したようなデザインになっている。
平海
寧海級の平がつく平らじゃない方。
寧海と共通性がありつつもこちらは和服要素はほとんど無い。