ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

概要

父は伏見宮邦家親王、明治維新後に陸軍元帥


経歴

弘化3年(1846年)に誕生、後に出家して仁和寺の門跡となる。王政復古の後に還俗して議定に就任。明治3年(1870年)に東伏見宮に改称したが明治15年(1882年)に小松宮に改称した。親王は陸軍の軍人として明治23年(1890年)に陸軍大将、明治31年(1898年)に元帥。明治36年(1903年)に薨去。


血縁

妃は頼子(有馬頼咸の娘)、親王には王子がいなかったことで弟の依仁親王養子にしたが後に北白川宮能久親王の第四王子輝久王を迎えたが親王の死後に輝久王は臣籍降下をして小松侯爵家を創始し小松宮の祭祀を継承した。


関連タグ

皇族 小松宮 東伏見宮 仁和寺

関連記事

親記事

小松宮 こまつのみや

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました