概要
日本の明治から昭和にかけて活躍した探偵であり、日本初の私立探偵かつ探偵事務所の創業者である。
元は警視庁の警察官であり、日清戦争では司法主任として従軍し、スパイの摘発を行っていたこともあった。
日清戦争の終戦後は退職し、明治28年(1895年)に日本で初めての私立探偵事務所である『岩井三郎事務所』を開業、多くの犯罪事件の解決に貢献した。
特に大正の初期に起こった近代日本最大の疑獄事件である『シーメンス事件(ドイツのシーメンス商会による日本海軍高官への贈賄事件で、後にイギリスのヴィッカース社も巡洋戦艦『金剛』の発注にまつわる贈賄で絡んでいたことが発覚する)』を解決に導いたことで有名。
ちなみに、彼の探偵事務所は後に昭和52年に株式会社ミリオン資料サービスと合併し、調査会社として現在も東京・中央区に存在している。
余談
岩井の探偵事務所には、後に推理小説家となる江戸川乱歩が就活に訪れたことがある。乱歩の自伝によれば、職を転々としていた作家デビュー前の時期に訪問し、推理力に自信があるとして探偵に採用してほしいと依頼したが、「実際の名探偵は小説中の人物ではなかった」「結局採用の通知は来なかった」とのこと。また、岩井とは後年ラジオで対談したとも述べている。
- このエピソードに触発された作品に、2023年NHK放送のドラマ「探偵ロマンス」がある。「もし江戸川乱歩が、そのまま探偵になっていたとしたら?」という ‘if’ を元にしたドラマで、書籍化された岩井の回顧談と同じタイトルになっている。
- ネット記事などには乱歩が実際に勤務したとするものもあるが、根拠を示しているものは見当たらない。乱歩の著作・記録にも見られず、関連資料発見の記事もないため、単なる流言である可能性が大きい。
- さらには明智小五郎の容姿や探偵法のモデルとする珍説もある。しかし、明智のモデルは講談師の神田伯龍と明言されている上、写真に残る岩井の容姿と明智の描写は全く異なる。また、明智の探偵法は極めて小説的なものであり、実務家である岩井の手法と比べるのは無理がある。