布団爆弾
ふとんばくだん
名前の由来はその形状が座布団に似ているから…らしい。正式名称は梱包爆雷または梱包爆薬とも呼ばれる。本記事では派生兵器である急造爆雷についても併記する。
予め量や成分を調整した約10㎏の爆薬を麻袋で包み、ゴムなどで密封したものであり、簡単な起爆装置と安全装置を備えていた。また爆弾には肩掛け紐あるいは取っ手がつき、リュックサックのように背負うタイプや手提げかばんのように持ち運ぶタイプなど複数の種類が存在した。
元々、専門知識のある兵士にしか使えず、戦闘中の設置が難しかった爆薬を誰でも扱えるようにした兵器…というより道具に近い。
よく太平洋戦争末期における日本陸軍が、アメリカ軍の戦車を破壊するための特攻(自殺攻撃)に用いられたといわれることが多く、フィリピン・ルソンの戦いでよく用いられたとも言われる。具体的には布団爆弾を抱えた日本陸軍兵士が移動する敵戦車の下に潜り込んで爆弾を爆発させるという逸話があるが、後述の急造爆雷と混同した誤解である。
布団爆弾は本来、移動する敵戦車を何らかの方法で足止めした上で、戦車の天板に設置して時限式の起爆装置を作動させてから、爆弾が炸裂するまで約10秒の猶予の間に、安全圏まで避難するという道具であり、使用者の命と引き換えに戦車を破壊する兵器だったわけではなかった。
とはいえ戦車に肉薄するため死亡率は高く、本機材を対戦車兵器として扱うようになる頃には、歩兵を戦車の周りに配置しての相互支援を徹底している上、抗日ゲリラによる密告などの理由から待ち伏せが難しかった。
ではなぜ、使用者の死亡が大前提の兵器になってしまったかというと、敵であるアメリカ軍が爆弾の設置と装甲板の密着を防ぐため、有刺鉄線などで戦車をトゲだらけにしたからである。布団爆弾は密着させないとその効果がほとんどなくなってしまうのだ。そうなると底面しかないが、布団爆弾の構造的に密着させた状態で爆発させるのは不可能である。
そこで新たに出現したのが急造爆雷である。