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刺突爆雷

しとつばくらい

刺突爆雷とは、第二次世界大戦中に大日本帝国陸軍が使用した対戦車兵器である。

1941年12月における日本とアメリカとの戦争が開戦して間もない頃、当時、日本軍では対戦車戦闘に必要不可欠な対戦車砲などの兵器の絶対数が不足していた。
先に行われていた日中戦争においては、敵戦力の中心が歩兵だった事もあり、あまり対戦車戦闘を行う機会と必要が無かった事が第一の理由に挙げられがちだが、そもそも論として国力不相応に戦場の規模を拡大してしまったがゆえに、あらゆる兵器・弾薬・食料の調達が間に合わなくなったのがすべての元凶である。

(しかも、ヨーロッパにおいてはドイツ軍相手に連合国軍側の戦車も洗練され、その重装甲化に対して有効な威力を持つ対戦車砲の開発が遅れていた)

とはいえ、当時主力であった九七式中戦車チハ)もまた、九七式57mm戦車砲でM3軽戦車の薄い後部装甲を貫通できない等の攻撃力不足に悩まされながらも、榴弾の猛打や制空権の有意差をいかし、多数の戦車を撃破しているし、チハの改良型である新砲塔チハや新型の47mm対戦車砲、といった新兵器の実用化によりある程度改善されている。

…と思いきや、戦局はすぐアメリカ側に傾いていき、あっという間に制空権も失い、より強力な戦車であるM4シャーマンが戦場に現れるようになると、再び先述の問題点が頻出するようになる。

実際、当時の日本では戦車1両調達するより単発の戦術航空機(戦闘機襲撃機など)1機を調達するほうが楽だったらしい。

この為、対戦車戦闘に際しては…

  1. 戦場の地形の利用、又は落とし穴や障害物等のトラップの構築。
  2. 敵戦車を自軍陣地におびき寄せ、側面もしくは後面に対して、至近距離から複数の野戦砲を直射する。
  3. 1と2の手段も含まれるが、転輪・駆動輪・キャタピラの破壊により動きを封じる。
  4. ハッチなどの開口部を狙った狙撃。
  5. 爆薬地雷などをもって肉薄。
  6. 5と同時に、拳銃銃剣火炎ビンによる敵戦車乗員への直接攻撃。
  7. 高射砲八八式七糎野戦高射砲九九式八糎高射砲)で水平射撃(ただし砲が多くなく、効果はあったものの使える時が限られた)
…以上の方法を除いては、有効な手立てが無かったのである。

このような状況下で、対戦車肉迫攻撃機材として、ノイマン効果を使用した重量数kgの爆雷、対戦車手榴弾、あるいは爆発によって装甲を爆砕する地雷が各種開発された。

刺突爆雷は長さ1.5mの棒、または竹の先端に、全幅20cm、全長30cmの円錐状の成形炸薬弾頭をつけたものである。
円錐形の弾頭内部には漏斗状に凹んだ空間が設けられており、爆発のエネルギーが前方に収束するよう工夫されている。
また、この凹みには銅などの金属が薄く張られ、爆発により高温の金属ジェット流を発生させる。
弾頭の後部には打撃発火式の信管が付けられ、弾頭の前面には刺突方向に向けて等間隔に3本の釘が植えられていた。
これは人力で装甲に突き刺すというためのものではなく、爆発により発生する金属ジェット流のスタンドオフの距離を維持するための物と考えるのが妥当である。
しかし成形炸薬弾の爆発の威力はすべてが前方に収束するわけではなく、残りは周囲へと爆風を及ぼす。
戦車に数mの距離まで肉薄するということ、対戦車攻撃に成功した場合、爆薬が兵員のわずか1、2m先で爆発することを考えれば生還を考慮に入れるような種類の兵器ではない。
つまりは、実質上の特攻兵器であった。

刺突爆雷は前線への補給が間に合わず、さまざまな種類のものが現地の各部隊で製作された。フィリピン島、沖縄の実戦で投入された。

なかなかインパクトのある兵器であるが、アメリカ軍からの評価はかなり低く、「この兵器で撃破された戦車は存在しない」ともしている。
実際、刺突爆雷は手作り故に正常に作動しない場合も多く、また取り回しが悪かったため、敵戦車に近づく前に使用者が射殺されることがほとんどだったとされる。

またインドネシア独立戦争で日本軍が残した刺突爆雷を、インドネシア側が使用しているが役に立たず、戦車に近づく前に使用者が射殺されたとも、作動不良が起きたとも言われる。
第一次インドシナ戦争でも用いられたという。

類似の兵器

対人用爆竹槍(爆槍
伏龍(水中で艦船相手に使う。)
九九式破甲爆雷(こちらは磁石で装甲に貼り付けることが出来る吸着地雷であるが成形炸薬弾頭ではない)
布団爆弾(本来の使用方法を守っていれば、死ぬ可能性は低かった)

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